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印鑑・焼け焦げた書類…「材木町94番地」加藤さん遺品寄贈、爆心直下の営み「後世に」【ヒロシマの空白】証しを残す

2021/8/3 22:48
加藤さん宅の焼け跡の金庫の中に残っていた貴重品類。「加藤」と彫られた印鑑(中央)や朱肉、焼け焦げた書類、財布などが残っていた(撮影・高橋洋史)

加藤さん宅の焼け跡の金庫の中に残っていた貴重品類。「加藤」と彫られた印鑑(中央)や朱肉、焼け焦げた書類、財布などが残っていた(撮影・高橋洋史)

 現在の平和記念公園(広島市中区)の原爆資料館本館付近にあたる「材木町94番地」に住み、原爆投下で犠牲となった加藤アサさん=当時(66)=の遺品の印鑑や焼け焦げた書類を、遺族が同館に寄贈した。爆心直下で壊滅した街の暮らしを伝える証し。同館は「資料館がある場所にあった営みや被害を知る上で貴重だ」とする。

2021ヒロシマ

 寄贈されたのは「加藤」の印鑑、焼け焦げた書類や土地の証書、がま口の財布、鍵、硬貨の入った弁当箱など。加藤さん宅の焼け跡で金庫の中に入っていた貴重品類をまとまって取り出したものという。亡き両親から受け継いだ孫の純久さん(78)=中区=が今年4月、「後世に残したい」と同館に託した。

 加藤さんが暮らした94番地は商店や料理店、医院などが軒を連ねた材木町筋の一角。間口が狭く奥行きが長い建物が並んでいた。

 「通りに面した表は青果店に貸し、祖母は奥に1人で住んでいたそうです」と純久さん。アサさんは一時、夫茂一さんと疎開していたが、1945年1月に夫に先立たれたため、住み慣れた材木町に戻っていた。
(ここまで 451文字/記事全文 1026文字)

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  • 加藤さんが住んでいた「材木町94番地」の辺りで寄贈への思いを話す孫の純久さん。現在の原爆資料館本館付近となる
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