生きて

生きて 元プロ野球監督 広岡達朗さん(1932年〜)

  • <7> 新人王 先輩の教えコツつかむ (8/29)

     新人時代、打撃に悩む あまりに打てないのである時、川上哲治さんに「教えてください」とお願いしました。そしたらこちらを一瞥(いちべつ)して終わりですよ。「10年早いわ」というような顔をして。

  • <6> プロへ 巨人の誘い 舞い上がる (8/28)

     早稲田大3年時にはプロ数球団から入団を打診する話があった 熱心だったのは毎日(現ロッテ)。阪神も話があった。広島の誘いはなかったね。「広岡は入団しない」と決め付けていたのでしょう。

  • <5> 早稲田大入学 「文武両道」 看板背負う (8/25)

     1950年、早稲田大野球部の入部テストを受けた 会場は宮崎県営球場。三津田高のグラウンドに比べると、土は鏡のようにきれいだった。それなのに、ほかの選手は荒れていると感じたそうで、「球が跳ねて危ねえな...

  • <4> 野球との出合い 学校寝泊まり 球を追う (8/24)

     終戦後、野球を始める もともと野球をやろうとは思っていなかった。やじが嫌いだったからね。「ほえるのは弱い犬。大声を出すのは肝心な時でいい」。そんな父の教えが染み付いていました。

  • <3> 戦争 日本の敗戦 信じられず (8/23)

     五番町小(現呉中央学園)を卒業後、1944年に呉一中(現三津田高)へ入学 わんぱくな少年でした。校庭をはだしで走り、砂場では空中回転の練習をした。うんていは1本飛ばし、鉄棒は何度もすねをぶつけながら...

  • <2> 甘えん坊 家族に愛された呉時代 (8/22)

     1932年2月9日、男5人、女1人の6人きょうだい(次男は病死)の末っ子として呉市で生まれた 五番町小(現呉中央学園)の裏にある借家に住んでいました。父誠一は海軍の職業軍人。戦地に赴いて、しばらくす...

  • <1> 広島魂 名選手経て「優勝請負人」 (8/21)

     呉市出身の広岡達朗さん(80)には「二つの顔」がある。プロ野球、巨人の黄金期の欠かせぬ遊撃手として、グラウンドで躍動した名選手の顔。もう一つは「優勝請負人」と呼ばれた指導者の顔だ。広島東洋カープでコ...