文化・芸能
節分、制すべきは心の鬼 角を出さぬよう心身を調和
今年の節分は2月2日。立春の前日に「鬼は外、福は内」の掛け声で豆をまき、寒さと厄災を追い払う。ただ、人の心に巣くう煩悩こそが鬼という仏教の教えに基づけば、「鬼は内、福は外」とも言えるという。誰もが心の中に鬼を抱えているかもしれない。節分を機にその存在に目を向け、鎮める努力をしてみたい。
浄土真宗の宗祖親鸞(しんらん)は、自らを鬼のような醜い心を持った人間だとし、「煩悩具足の凡夫(煩悩が十分に備わっている愚かな人間)」と称した。親鸞が書き記した「一念多念文意(いちねんたねんもんい)」には「欲も多く、怒り、腹立ち、そねみ、ねたみの心ばかりが絶え間なく起こる。まさに命が終わろうとするその時まで、とどまり消えることはない」とある。
「自身を戒める宗祖の言葉は、大きなインパクトを持って門信徒に受け継がれた」と、歴史地理学者の神(じん)英雄さん(66)=安来市。それを示す2人の「妙好人(みょうこうにん)」のエピソードを教えてくれた。
妙好人とは浄土真宗の熱心な門信徒の敬称で、模範的な生き方をした人物を指す。現在の江津市に生まれた小川仲造(なかぞう)=1842〜1912年=はこんな言葉を残したという。「鬼はうち 福はそと お慈悲の豆は耳でひろえ」。煩悩は自分にとどめ、幸せは世の人々へ。そして豆を拾うように丁寧に説法を聞き、人の幸せを願う心を持とうというメッセージだ。
もう一人は現在の大田市出身の浅原才市(さいち)=1850〜1932年=。柔和に描いてもらった肖像画に角を2本付け足したという逸話がある。神さんは「才市さんは人を憎み、恨む心が自分にあると気付いていた。しかし才市さんだけでなく、誰もが他者を傷つける角を持っている」と語る。
確かにそうだ。まさに今、大きな人気を集めている漫画「鬼滅(きめつ)の刃(やいば)」がそれを言い表している。鬼に家族を殺された主人公の少年が、鬼となった妹を人間に戻すため奮闘する物語だ。敵として少年の前に次々と立ちはだかる鬼たち。元の姿はすべて人間である。
「鬼たちはそれぞれが個別のトラウマを抱えて必死にもがく。人間の負の部分を帯びたその姿に、自分を重ねる読者は多いのではないか」。この作品のファンという曹洞宗普門寺(広島市中区)の吉村昇洋副住職(43)は、そう読み解く。「漫画は私たちが、さまざまなきっかけで鬼に変わることを示唆する。コロナ禍で他者への想像力を失いがちな今こそ、自分の中の危うさに目を向けてほしい」
では内側の鬼を退治する方法はあるのだろうか。吉村副住職は「人間関係から自分を切り離せない以上、煩悩をなくすことは難しい。鬼を追い払おうとするのではなく、鬼の心が常に私の中にあるんだと受け入れることが大切」と説く。必要なのは、内側の鬼が角を出さないようコントロールできる自分をつくることなのだろう。
そこで吉村副住職が提案するのは、仏教の止観(しかん)=座禅=に関する書「摩訶(まか)止観」にある、心身の調和に必要な「調五事」(五つの調整)。つまり、調食(適度な食事)▽調眠(適度な睡眠)▽調身(身体の調整)▽調息(呼吸の調整)▽調心(意識の調整)―である。
吉村副住職は「目の前の食事をしっかりと味わい、適切に睡眠をとること。そして無駄に力が入らない姿勢で、自然な呼吸に身を任せる。さらに、余計な思考にとらわれず心を落ち着かせること。そんな基本的な習慣の積み重ねこそが心の鬼を鎮め、自分を生きづらさから解放してくれる」と話している。(久行大輝)
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