文化・芸能

【評伝・那須正幹さん】子ども目線、創作の原点

2021/7/22 20:33
講演で福島県矢吹町の小学校を訪れ、子どもたちと交流する那須さん=右端(2011年7月)

講演で福島県矢吹町の小学校を訪れ、子どもたちと交流する那須さん=右端(2011年7月)

 いつもにこやかで、おおらかな人だった。今も子どもたちに読み継がれる「ズッコケ三人組」シリーズの生みの親、那須正幹さんが亡くなった。6月27日に出身地の広島市西区であった講演会で会ったばかり。突然の知らせに言葉を失った。「子ども時代にしかできないことをやらせてあげて」。そう語ったのが、故郷への遺言となった。

 ▽命削り、ヒロシマと向き合う

 被爆70年の節目が迫った2015年初夏、新聞連載のインタビューのため、防府市の自宅を何度も訪ねた。驚いたのは、あふれ出すエネルギー。「書けんで困ったいう記憶がないなあ」。資料やメモを一切見ることなく、自身の生い立ちや創作のいきさつをよどみなく語る姿に圧倒された。

 ハチベエ、ハカセ、モーちゃんの小学6年の3人が活躍する「ズッコケ三人組」シリーズは当初、大人からの評判はあまり良くなかった。ベストセラーに押し上げたのは子どもたちの支持だ。

 子どもから届いたファンレターにはすべて目を通し、ほとんどに返事を書いたという。さらに読者からの提案を作品に盛り込んだことも。子どもと常に同じ目線で、夢中になって楽しむ。そんな無垢(むく)な心が戦後の日本児童文学の大ベストセラーを生んだに違いない。

 併せて心血を注いだのがヒロシマを題材にした作品だ。原爆の子の像建立運動を子どもの目線から迫ったノンフィクション「折り鶴の子どもたち」などがある。

 原爆に話が及んだ時、自身が被爆者だと意識したのは中学2年の時だと、明かしてくれた。同級生の女子生徒が急性白血病で亡くなった。その直後の集団健診で精密検査が必要と診断されたという。鮮烈な記憶を語る表情は、いつもと違っていた。

 そして、原爆をテーマにした作品と向き合う時は、重圧でいつも体調を崩した、と打ち明けてくれた。「亡くなった多くの犠牲者のためにも、僕らが次の世代に伝える責任がある」。命を削りながら書いた作品の重みをあらためて実感した。

 「今の子どもを見ていると、小さな大人のよう」。最後となった広島の講演での言葉が胸に残る。子どもはもっとゆったり、子どもらしく―。このメッセージは、多くの作品とともに生き続ける。(石井雄一)

 「ズッコケ三人組」作者の那須正幹さん死去 79歳、広島市西区出身

 温かい笑顔とユーモア 那須正幹さん死去、古里広島で悼む声


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  • 「ズッコケ三人組」シリーズ(ポプラ社提供)

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