<15> 会長を退任 困っている人を手助け 生きて・大創産業創業者 矢野博丈さん(1943年~) 2022/7/8 「東京へ出ておいでよ」と在京の経営者たちからよく言われました。けれども、東広島市から本社を移すと考えたことは一度もありませんでした...
<14> 社長退任 働き通して5000店突破 生きて・大創産業創業者 矢野博丈さん(1943年~) 2022/7/7 大創産業は商品の保管、発送を自動化した物流拠点「RDC」の整備に着手。2014年までに東広島市の広島RDCなど全国8カ所に整えた...
<13> 異色の経営 売り上げは客が決める 生きて・大創産業創業者 矢野博丈さん(1943年~) 2022/7/6 創業当初から資金繰りに苦労し、いつも不安でした。つぶれかけたこともあった。20年以上前ですかね、「安い商品でもうからないのに、多く...
<12> 海外進出 顔に年輪、経営者見極め 生きて・大創産業創業者 矢野博丈さん(1943年~) 2022/7/5 経営者の勉強会で100円ショップ「ダイソー」の名刺を手渡すと、見るからに嫌な顔をする人がいました。「なぜ安物売りがここにいるのか」...
<11> 急成長 商品量が追い付かない 生きて・大創産業創業者 矢野博丈さん(1943年~) 2022/7/4 100円ショップ「ダイソー」は、バブル崩壊後の消費不況に陥った1990年代半ばから全国で急増。94年に約300店だったのが、98年...
<10> 仕入れは格闘技 1円単位で単価を交渉 生きて・大創産業創業者 矢野博丈さん(1943年~) 2022/7/1 100円ショップ「ダイソー」には、折り紙だけでもサイズ、デザインの異なる約100種類がある。それでも売れる。これだけの種類を提供す...
<8> いい物を安く 原価引き上げ、客に感謝 生きて・大創産業創業者 矢野博丈さん(1943年~) 2022/6/29 他の業者と違って同じ場所へ年に何回も訪れ、お客さんに心を込めて感謝を伝える。そうすると「次はいつ来るん?」と繰り返し買ってくれるよ...
<7> 創業 移動販売「全部100円」 生きて・大創産業創業者 矢野博丈さん(1943年~) 2022/6/28 各地を移動しながら日用雑貨を売る商売がはやっていました。まだ物流機能が整っていない時代だったので需要があった。たまたま川尻町(現呉...
<6> 転職9回 自信失いノイローゼに 生きて・大創産業創業者 矢野博丈さん(1943年~) 2022/6/27 私は子どもの頃から「ひとかどの人間になれる」と妙な自信家でした。社会を甘く見て、なめていたんですね。東京へ夜逃げし、人生が終わった...
<5> 養殖業 借金膨れ東京へ夜逃げ 生きて・大創産業創業者 矢野博丈さん(1943年~) 2022/6/24 大学卒業後はサラリーマンになるより、何か商売をしようと考えていました。東京五輪(1964年)が終わって景気が悪くなり、特に土木の学...
<4> 学生時代 バイトで自活し結婚も 生きて・大創産業創業者 矢野博丈さん(1943年~) 2022/6/23 大学に合格したのは夜間の2部。親には格好がつかないので夜間とは告げず、2年間勉強して昼間に移ろうと考えていました。...
<2> 医者の父 「手に職を」しつけ厳しく 生きて・大創産業創業者 矢野博丈さん(1943年~) 2022/6/21 生まれた時の名前は栗原五郎でした。結婚して妻の矢野姓に改め、その後に下の名前も姓名判断で博丈に変えたのです。...
<1> 行き当たりばったり 懸命に生き 結果を待つ 生きて・大創産業創業者 矢野博丈さん(1943年~) 2022/6/21 100円ショップ「ダイソー」を運営する大創産業(東広島市)は3月、創業から50周年を迎えた。業界最大手に育て上げたのが創業者の矢野...