くらし

<1> お久しぶりです 元気長寿者、驚きの連続

2019/3/1 10:28
絵・沢田妙

絵・沢田妙

 皆さん、お久しぶりです。「夕映えのとき」でお目にかかった春日です。また、この欄を担当することになりました。よろしくお願いします。

 前回の連載から、あっという間に5年。私も年齢を重ねました。しかし「年をとった」という実感はあまりありません。むしろ、まだ若い、しっかり生きていかねばと思うようになりました。

 それには理由があります。ここ数年、私が主に話を聞いてきたのは、在宅暮らしの90代、そして100歳以上の「元気長寿者」の方たちでした。この方たちとの出会いは驚きの連続でした。それまで私が持っていた長寿者観、寿命観、大きく言えば人間観を変えたのです。

 以前の私は90歳も超えると人は「自分を年だ」「死が近い」と考えるものだろうと思っていました。ところが話を聞くと、ほとんどの方が「年だと思わない」「死ぬとは思えません」と言います。もちろん「膝が痛い」「聞こえが悪い」など、いくつかの不自由さは抱えながらですが。

 これは不思議でした。若い人たちの方が、よほど死を近くに感じて生きている。そう思ったのです。大学に勤務していた頃、「自分は生きていけるだろうか。死んだ方がまし。死にたい!」と死を身近に考える学生と数多く出会いました。また、相談を受けた40、50代の働き盛りの人の中にもそんな人がたくさんいました。

 「生・老・病・死」。これは生きる上で人が抱える「四苦」と言われます。しかし元気長寿者の話を聞いていくと、その「苦」の形は「老」いて「病」を抱えることが多い高齢になるほど重く深くなるものでもない。それは人それぞれの健康度、性別、経済力、人間関係の良しあし、考え方など、さまざまな条件で異なってくる。そんな当たり前のことが、この5年間でさらに分かった気がします。

 この欄では、老若男女、多くの人の話を聞く中で私なりに考えたことを書いていこうと思っています。どうぞ、しばらくお付き合いください。

    ◇

 2014年10月まで65回にわたって連載した「夕映えのとき〜人生90年時代」の続編です。人生の終盤を夕映えのように静かな輝きを放つ時間にするためにどうすべきか。臨床社会学者の春日キスヨさんがつづります。

 かすが・きすよ 43年、熊本県生まれ。京都精華大教授、安田女子大教授を経て、12年3月まで松山大教授。専攻は家族問題を中心とする社会学。12年4月から「高齢社会をよくする女性の会・広島」代表。近著に「百まで生きる覚悟」。廿日市市在住。

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