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【暗闇から抜け出したい 若年性認知症の今】<上>支援までの「空白期間」 頼れる場所が分からない

2019/6/11 20:15
家から職場へ向かう岩国市の男性。新しい仕事に少しずつ慣れてきた

家から職場へ向かう岩国市の男性。新しい仕事に少しずつ慣れてきた

 認知症と聞いて、多くの人は高齢者を思い浮かべるかもしれない。しかし、65歳未満で発症する若年性認知症の人もいる。厚生労働省の推計では、平均の発症年齢は51.3歳。「目の前が真っ暗になった」と打ちひしがれる本人や家族は少なくない。支援はまだ乏しく、実情もよく分かっていない。先の見えない「暗闇」から抜け出し、孤立しないためには、どんなサポートが必要なのだろう。中国地方の当事者や支援の場を訪ねた。

 ▽50代で診断、不安ばかり募った2年

 仕事を続けられるのか不安だった。誰に助けを求めればいいのかも分からない。「わしが悪いんか。どうすればいいんか」。寝言でつぶやいていたと、後で妻から聞かされた。

 岩国市の会社員男性(58)が上司から医療機関の受診を勧められたのは、55歳の時だった。当時の会社では役員を務めていたが、約束を忘れたり、パソコンの使い方が分からなくなったりする日が続いていた。家でも鍵や財布を度々なくす。仕事が忙しく、疲れが原因かと思っていた。

 ところが、広島市の病院で告げられた。「初期の認知症です」。そんなはずはない。とっさに、そう思った。仕事はどうなるのか。生活はどう変わるのか。本当に病気なのか。混乱をよそに、医師は薬について淡々と説明し、診察は10分ほどで終わった。

 暗闇の中に突き落とされたような気がした。あの診断から、公的な支援につながるまで2年。不安ばかりが募った「空白の期間」がしんどかったと、男性は振り返る。

 どうしていいか分からず1年半ほど仕事を休んだが、近所の目が気になり、日中は家にこもるしかなかった。妻(60)は認知症に関する本や雑誌を読みあさり、他の病院にも連れていってくれた。しかし、診断結果も症状も変わらない。落ち込むばかりで好きなゴルフに行く気も起こらず、毎日テレビをぼんやり眺めて過ごした。

 いったん復職したが、思うように仕事はできなかった。会社は一緒に作業する人を付けたり、簡単な仕事を任せたりしてくれたが、指示通り動けない。電話番さえままならなかった。同僚も自分も途方に暮れた。そして半年後、会社を退いた。

 退職してやっと、妻は地域包括支援センターに連絡した。センターのことは以前から知っていたが、なかなか一歩を踏み出せなかった。「夫のことをいろいろ話さなくちゃと思うだけでプレッシャーでした。夫の病気を認めたくなかったんだと思います」と打ち明ける。

 それから家族の会などとつながり、頼れる場が少しずつ増えてきた。男性は今、知人が経営する会社で働いている。

 広島県の若年性認知症支援コーディネーター糸原佐知子さん(40)は「病院での診断後、支援が途切れてしまうケースは広島でも少なくありません」と話す。各都道府県が1人以上置くようになったコーディネーターには、本人や家族から相談が寄せられる。昨年度分を分析すると、診断を受けてからコーディネーターに連絡するまでにかかった期間は平均で1年2カ月。1カ月以内に相談する人がいる一方、3〜5年経過している人もいた。

 糸原さんは、サポートにつながらない「空白の期間」に本人も家族も孤立するのが課題という。主に働き盛りの年代で発症するだけに、仕事や生活について相談できる場は欠かせない。診断の直後に相談窓口を紹介してもらえればいいが、コーディネーターの存在はまだ周知されていない。

 医師でさえよく知らない場合もある。広島県内のある医師は「コーディネーターの配置を知らせる通知はあったが、忘れている人も少なくない」と明かす。別の医師はこう語る。「医師の役割は、診断や治療という意識が一般的。医療以外の支援を紹介すること自体、思い付かないのではないか」

 糸原さんは「本人といち早く出会うのは医療機関。コーディネーターについても伝えてもらえるよう、もっと工夫しなくては」と頭を悩ませている。(福田彩乃)

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  • 岩国市の男性が持ち歩くメモ帳。仕事の指示などを書いておく

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