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【ALSを生きる】京都・嘱託殺人事件が問い掛けること 読者からの反響

2020/9/14
絹子さんの形見の指輪と写真を前にする平松さん。最期の日々を振り返ると、涙がこぼれる=広島市中区(撮影・高橋洋史)

絹子さんの形見の指輪と写真を前にする平松さん。最期の日々を振り返ると、涙がこぼれる=広島市中区(撮影・高橋洋史)

 筋萎縮性側索硬化症(ALS)と向き合う患者や家族、支援者の姿を伝えた連載「ALSを生きる 京都・嘱託殺人事件が問い掛けること」。読者からは記事に自身の体験を重ね、心を寄せる声が数多く寄せられた。その一部を紹介する。

 ■生死を分ける決断を巡って 消えぬ迷い。大事な人と生きた証し

 全身の筋肉が痩せ細っていくALS。息をする力が弱まれば、人工呼吸器を着けるかどうかを選ぶことになる。広島市中区の平松ゆう子さん(55)は、悩み抜いた家族の姿を伝える記事に心が震えたという。自身も3年前、母小林絹子さんを同じ病で亡くしたからだ。

 埼玉県に離れて暮らしていた絹子さんは、76歳で発症。1年後、ALSと診断された。平松さんは毎月のように広島と埼玉を往復し、実家で暮らす妹と2人で4年間の闘病を支えた。

 優しくて強い母だった。「人に迷惑を掛けなければ何をしてもいい」と、伸びやかに育ててくれた。「だから、自分が周りの手を煩わせるのが苦痛だったんでしょう」と平松さん。早々に「呼吸器は着けない」と決め、思いを貫き通した。

 「介護はやり切った。母も喜んでいるはず」。そう納得したはずだった。だが記事に触れ、ふたをしてきた思いが頭をもたげたと、平松さんは言う。介護から解放されたくて、母の決断にどこか、ほっとしたのではないか。「呼吸器を着けて」と頼めば、母は今も生きていたのではないか―。
(ここまで 585文字/記事全文 2192文字)

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  • 「がんばっとるよ。ありがとう」。文子さんの写真に語り掛ける加藤さん(安佐北区)
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