生きて

<2> 被爆の記憶 ミカンの缶詰 フーフー

生きて 児童文学作家 那須正幹さん(1942年〜)2015/7/16 15:54
被爆当時住んでいた自宅。爆発の瞬間、母親と縁側右側の戸袋の陰にいた(1967〜68年ごろ撮影)

被爆当時住んでいた自宅。爆発の瞬間、母親と縁側右側の戸袋の陰にいた(1967〜68年ごろ撮影)

 父茂義、母トキの長男として、広島市庚午北町(現西区己斐本町)に生まれた。3人きょうだいの末っ子。次姉とは九つ離れていた

 原爆以前の記憶もあるんよ。一つは、防空演習でおふくろが、けが人役として担架に乗せられた。それを見てわあわあ泣きだしたら、とうとうおふくろが降りて。その時、やれやれという顔をしたのを覚えとる。
(ここまで 156文字/記事全文 905文字)

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