生きて

<7> 帰郷 次姉に誘われ同人誌に

生きて 児童文学作家 那須正幹さん(1942年〜)2015/7/25 12:45
父親(左から3人目)の書道塾を手伝っていた頃の家族写真。左端が那須さん(1971年ごろ撮影)

父親(左から3人目)の書道塾を手伝っていた頃の家族写真。左端が那須さん(1971年ごろ撮影)

 勤めていた会社の異動方針に反発して退社。1967年、帰郷した

 当時、おやじが「龍門書道会」という書道塾を開いていた。生徒が300人ぐらい。僕が帰ったから、「おまえも手伝え」と。じゃけど、僕は左利きで、それまで習字は、学校以外では一切やったことがなかった。泥縄式もいいところ。新しく入った子どもに墨のすり方や筆の持ち方を教えたりしよったかな。
(ここまで 171文字/記事全文 865文字)

会員限定の記事です
  • 無料登録して続きを読む
  • ログインする
  • 前の記事へ
  • 次の記事へ

 あなたにおすすめの記事

生きて 児童文学作家 那須正幹さん(1942年〜)の最新記事
一覧

  • <15> 次代へ伝える 平和 継承する努力願う (8/7)

     被爆から70年の夏を迎えた 僕の場合、子どもに向けて書く仕事だから、次の世代に分かってほしいという思いが強い。でも、体験のない子どもたちに、どうアプローチをしていくか。戦争の悲惨さをストレートに伝え...

  • <14> ヒロシマとフクシマ 被爆体験 被災地で語る (8/6)

     2011年3月11日、東日本大震災が発生。4カ月後、福島県矢吹町の小学校で講演した 山間部の学校で、津波被害はないけど、家なんかが壊れとるのは随分あった。学校の運動場も除染作業で土が山盛りになっとっ...

  • <13> 後進への期待 「自分の世界」見つけて  (8/5)

     2007年、地方の作家としては初めて、日本児童文学者協会の会長に就任。5年間務めた 前々会長の砂田弘さんが、がんになって会長を降りられた。その次の木暮正夫さんもがんを発病されて。急きょ、次を決めんに...

  • <12> 「ズッコケ三人組」完結 「現実との乖離」感じる (8/4)

     「ズッコケ三人組」シリーズの2巻目「ぼくらはズッコケ探偵団」(1979年刊行)が出たころかな。ポプラ社の営業の部長さんが広島に来て、一緒に食事をしよる時に「先生、ズッコケは何巻ぐらい書くつもりですか...

  • <11> ヒロシマを書く 先輩作家の勧めで決意 (7/31)

     1978年、父が他界し書道塾を辞め、妻の実家がある防府市に転居 物心ついたころからピカの話を聞かされてきて、広島におった時は文学の対象にする気もなかった。それが、防府に引っ越すと広島のことが気になり...

 あなたにおすすめの記事