生きて

<1> 祈りを形に 平和や愛、夢がテーマ

人形作家 奥田小由女さん(1936年〜)2016/9/16 9:30
「深く思いを込めた作品を創り続けたい」

「深く思いを込めた作品を創り続けたい」

 文化功労者で、日本を代表する人形作家の奥田小由女さん(79)=東京都練馬区。幼少から三次市で育ち、愛や平和への思いを優美な作品に昇華、独自の世界を切り開いてきた。同郷の日本画家、故奥田元宋さんと結婚後は夫を支え、刺激を受け合った。今は女性初の日展理事長として、美術の振興に力を尽くす。

    ◇

 初期の頃は、風や冷たさといった目に見えないもの、自分の心象的なものを形にしようと制作してきました。今は愛や平和の祈りを形にしています。素材の研究を重ねて大きなレリーフ作品も手掛け、いろいろな角度から挑戦を続けてきた。日本芸術院会員になったのも人形作家としては私が初めて。もっとこの分野を認知していただき、可能性を広げていきたいのです。

 古里では、戦時中に親と離れて疎開していた子どもたちや、原爆で傷ついた身内の姿を見てきた。平和や愛、夢…。そういった、かけがえのないものがずっと私のテーマとなっています。

 元宋さんの制作を手伝ったり、一緒に写生旅行に行ったり。多忙な中でも自らの世界を探し続けた

 互いの力になり合えること、尊敬し合えること。それが結婚の時の条件でした。私もすごく助けられているし、主人もそうだったと思います。性格は全く違うのですが、ぴたっと合う。ジャンルが立体と平面作品で異なり、自分ができないことが相手にできるわけですから互いに感心するのです。互いを本当に必要とし、その中から作品も生まれてきた。本当にありがたい、結ばれ方でした。

 三次市には奥田元宋・小由女美術館がある。古里を愛する2人の作品が来館者を魅了している

 主人は美術館の設計図を見て喜んでいましたが、完成する前に亡くなりました。ですが大勢の方に支えられ、大勢の方が訪れる素晴らしい場所になり、喜んでいると思います。私たちは原風景が一緒。同じ自然に溶け込み、同じ空気を吸っていた。今も支え、守ってくれる古里の存在は大きなものです。

(この連載は東京支社・山本和明が担当します)


【生きて 人形作家 奥田小由女さん】

<1>祈りを形に 平和や愛、夢がテーマ
<2>別れ 父に恥じない人生誓う
<3>広島へ 戦争と原爆 作品の原点
<4>出会い 生き方学んだ恩師の本
<5>上京 人形と出合い「これだ」
<6>模索の日々 欧州で自分の世界探す
<7>白の時代 目に見えぬものを形に
<8>結婚 悩んだ末「助け合える」
<9>夫を支える 多忙な毎日 制作は夜に
<10>新たな技法 夫から刺激 色の世界へ
<11>2人の夢 夫婦で展示 共作も披露
<12>「月の別れ」 旅立つ夫の魂を作品に
<13>2人の美術館 代表作集め古里に完成
<14>日展 理事長として改革に力
<15>古里 原風景胸に創作続ける

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  • <12> 「月の別れ」 旅立つ夫の魂を作品に (10/4)

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