地域ニュース
心血注いだRE半世紀 開発の山本氏語る(2017年05月23日掲載)
マツダが世界で初めてロータリーエンジン(RE)を搭載した量産車を発売して30日で50年を迎える。元社長でRE開発を主導した山本健一氏(94)が中国新聞のインタビューに応じ、開発の背景や当時の思いを語った。
山本氏は、RE開発の背景に、国の自動車メーカー再編構想があったことを明かした。「マツダが自主独立で生き残るためには、新しい技術で先手を取るしかなかった」と差し迫っていた状況を説明。「やらにゃならんと奮起した」と、心血を注いだ思いを振り返った。
世界で唯一、実用化に成功した要因は「広島という地」と断言した。ものづくり産業が根付いていた広島は「部品メーカーが多く、とても協力的だった」と語り、地場企業の層の厚さが開発に結び付いたと強調した。
REは、マツダを経営危機から救い、そのブランドを世界に広めた象徴でもある。現在は量産していないが、マツダは2019年度、電気自動車に載せて復活させる方針。現在のマツダに対して「技術に満足しては駄目。(自らを)えぐるような心がなければ」と激励した。(堀晋也)
▽ロマンあるが課題多かった RE開発
マツダのREを生み出す中心となった元社長の山本健一氏に、開発の経緯や当時の苦労、現在のマツダへの思いを聞いた。
―REの開発にはどう取り組みましたか。
僕のエンジニア人生の全身をささげ尽くした。世界でも、ドイツや英国、米国の多様な企業が研究したが、マツダだけがものにできた。革新的な技術にはロマンがあるが、REは問題が多くてね。課題に向き合っていた頃を思うと、今も頭が痛い。でも責任ある仕事は技術者には生きがいになる。RE研究部の仲間もそう感じていたと思う。
―どうしてそこまで尽力できたのでしょう。
松田恒次社長の存在が大きい。最初はつらかったよ。RE研究部の看板を掲げるから、さらし者にされて。技術開発費を削っていた頃だったから、周囲から「金をかける必要があるのか」「何で遊びに付き合わにゃならんのや」と言われて、苦しかった。
当時の通商産業省(現経済産業省)は、海外メーカーの車の輸入自由化を見据え、国内の自動車メーカーを統合する構想を持っていた。恒次社長は自主独立で地元の恩に報いなければ、広島の人に申し訳ないと強く考えていてね。新しい技術で先手を取って生き残るしかないと。その意思の表れがRE研究部。それを知ってからは奮起したね。
―現在のマツダに何を思いますか。
技術に満足しては駄目だ。えぐるような心がなければ問題は解決しない。現在は、中国の大気汚染など環境対応が国際的な問題。REは水素との相性が良く、有効だ。社会的に意義のあることに活用してほしい。金もうけだけでは物足りないのではないか。飽くなき挑戦を続けてほしい。
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