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【メモ】デヴィ・スカルノさんと東洋工業(現マツダ)など

2019/12/27 16:24
デヴィ・スカルノさん

デヴィ・スカルノさん

 <クリック>デヴィ・スカルノさんと東洋工業 インドネシア独立の父、スカルノ大統領の夫人だったデヴィさんは1965年、ジャカルタに救急病院を整備しようとした。東洋工業は救急車2台を贈ったが、大統領は失脚。病院が未完成のままデヴィさんはフランスに亡命した。松田耕平氏が東洋工業の社長を退いたことを知り「心を痛めた」という。

 <クリック>松田耕平氏 1922(大正11)年生まれ。自動車販売の広島マツダ社長を経て、61年に副社長として東洋工業入社。父の恒次氏の死去に伴い、70年に社長。石油危機からの経営再建中だった77年、会長に退いた。恒次氏から広島東洋カープのオーナーも引き継ぎ、80年代の黄金期を築いた。2002年7月、80歳で死去。03年に野球殿堂入り。長男はカープの現オーナーの元さん(68)。次男はアンフィニ広島の社長だった弘さん(故人)。

 <クリック>東洋工業の自動車輸出 三輪トラックの生産を始めた翌年の1932年、中国などへの37台でスタート。乗用車の生産を始めた60年代に急増し、米国輸出に乗り出した70年に初めて10万台に達した。第1次石油危機後、ロータリーエンジン車の燃費が米国で批判されてからも強気な輸出を続けた。これが大量の在庫を生み、経営悪化を引き起こした。


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  • 松田耕平氏

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