地域ニュース
山本治朗前社主兼会長お別れの会
7月26日に70歳で死去した中国新聞社の山本治朗前社主兼会長のお別れの会が18日、広島市中区基町のリーガロイヤルホテル広島で営まれた。政治・行政、経済、文化・スポーツ、教育、医療など各界から、親交のあった約1600人が参列して故人の死を悼んだ。
40年余りの親交があった宮沢洋一参院議員は「どうすれば地域の人たちに良質のニュースを届けられるか、重い課題を担い続けた生涯だった」としのんだ。日本新聞協会の渡辺雅隆副会長(朝日新聞社社長)は、山口寿一会長(読売新聞グループ本社社長)のメッセージを読み上げ「強さと優しさを兼ね備えた新聞人だった」と感謝した。
開式に先立ち、山本前社主兼会長への従四位の位記が、広島県の湯崎英彦知事から伝達された。受け取った遺族代表で長男の山本慶一朗社主兼取締役はお別れの会であいさつし「父の志を受け継ぎ、広島に貢献できる存在となれるよう、まい進していく」と誓った。
山本前社主兼会長は1971年に中国新聞社へ入社。92年に社長、2000年3月に社主兼会長に就いた。「まるごと郷土紙」を掲げて地元密着のニュースを発信。15年に創刊した第二の朝刊「中国新聞SELECT(セレクト)」などで、新聞協会賞を社長、会長在任中に7回受賞した。
日本新聞協会ではNIE(教育に新聞を)委員長を9年余り務めて教育現場で新聞の活用を進めたほか、11〜17年には副会長を担い、新聞界の発展に寄与した。幅広い分野での活動や功績により、18年秋の叙勲で旭日重光章を受章した。
お別れの会は中国新聞社が主催し、実行委員長は岡畠鉄也社長が務めた。中国新聞社は20日まで、広島市中区土橋町の本社をはじめ、備後本社、防長本社、東京支社、大阪支社、呉支社、東広島総局、岩国総局、三次支局に記帳所を設けている。(村田拓也)
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