地域ニュース
山本治朗氏死去 中国新聞社社主・会長
中国新聞社の社主兼代表取締役会長で、元日本新聞協会副会長の山本治朗(やまもと・じろう)氏が26日午前6時37分、急性骨髄性白血病のため広島市中区平野町1の4の自宅で死去した。70歳。広島市中区出身。通夜・葬儀は近親者のみで密葬にて行う。喪主は長男慶一朗(けいいちろう)氏。後日、お別れの会を開く予定。
広島大付属高を経て、1971年、慶応大経済学部を卒業。同年、中国新聞社に入社した。取締役総合企画室長、常務、専務などを経て、同社が創刊100周年を迎えた92年、代表取締役社長に就任。98年に死去した山本朗前会長の後を受け、代表取締役会長兼社長となり、2000年3月から社主兼代表取締役会長を務めていた。
「地域とともに」の姿勢で、地域主義を徹底しようと01年、広島市の本社に加えて、備後、防長両本社を発足させ、3本社体制を築いた。廿日市市と福山市に最新鋭の印刷工場も整備。「まるごと郷土紙」を掲げて地元に密着したニュースを発信し、02年に75万部まで発行部数を伸ばし、「全国一の地方紙」としての地位を固めた。
15年に創刊した第二の朝刊「中国新聞SELECT(セレクト)」は、紙の新聞の魅力、可能性を追求する試みが認められ、翌年度に新聞協会賞を受けた。新聞業界の最高の栄誉とされる新聞協会賞を社長、会長在任中に7回受賞した。
原爆で壊滅し、国際平和文化都市として再興した広島を事業面でも後押しした。5月の「ひろしまフラワーフェスティバル(FF)」を創設時から手掛け、全国有数の祭りに育て上げた。
地域の経済・スポーツ・平和活動の推進にも貢献。広島経済同友会代表幹事を務めたほか、中国放送、広島東洋カープなどの取締役も務めた。広島国際文化財団の理事長として、平和活動の推進も支援した。
日本新聞協会のNIE(教育に新聞を)委員長を9年余り務め、全国大会を地方で初めて、広島市で開催。教育現場での新聞の活用を熱心に推進した。08年から9年余り共同通信社副会長を、11年から6年余り日本新聞協会副会長を務め、新聞界の発展に寄与した。
こうした幅広い分野での活動や功績により、18年秋の叙勲で旭日重光章を受章した。
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