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被爆オリンピアンの視点 砲丸投げ故高田静雄さん撮影、26日から東京など巡回展(2018年07月16日掲載)

2020/3/14 22:10
五輪マークが入った浮輪を持つ長女千鶴子さん(1931年生まれ、右)を収めた一枚。政府は日中戦争の泥沼化から38年、40年に予定されていた東京五輪の開催を返上する(高田トシアキさん提供)

五輪マークが入った浮輪を持つ長女千鶴子さん(1931年生まれ、右)を収めた一枚。政府は日中戦争の泥沼化から38年、40年に予定されていた東京五輪の開催を返上する(高田トシアキさん提供)

 原爆症のため逝った広島市出身の砲丸投げオリンピック選手、高田静雄さん(1909〜63年)が撮り続けた写真が今夏よみがえる。1936年のベルリン五輪に出場した頃からのネガフィルムを受け継ぐ孫で、写真家の高田トシアキ(本名敏明)さん(55)=広島市西区=が作品を選定。スポーツの喜び、鎮魂、平和への願いを記録した写真展は26日から東京、大阪、名古屋で順次開かれる。

 高田さんは、戦前は「砲丸王」とも呼ばれていた。日本陸上競技選手権大会は27年に初優勝し、通算6回を数えた。29年から自身が更新し続けた日本記録は、戦後の53年まで破られなかった。

 45年8月6日は勤め先の中国配電(現中国電力)本店で被爆した。爆心地から約680メートルで助かったが、建物疎開作業に学徒動員された広島女学院高女(現広島女学院中高)2年生だった長女千鶴子さんを失った。

 戦後は、身長173センチの体も被爆の後遺症に襲われる。そうした中で、情熱を注いだのが写真撮影だった。ベルリン五輪へも自らのカメラを携えていた。長女らを収めたネガフィルムも、西区の実家などで焼失を免れていた。

 元「砲丸王」のスポーツ写真は60年、ローマ五輪に伴う国際写真コンテストに選ばれ話題を呼ぶ。「元気ならまだグラウンドで後輩の指導もできたが、原爆症ではそれもできない。せめて写真を通じて指導してやれればとカメラを始めた」(中国新聞61年1月19日付)と語っていた。

 晩年は撮影もままならず、63年12月16日に54歳で死去した。病床を見舞ったのが、翌年の東京五輪で日本選手団長を務める大島鎌吉氏(85年に76歳で死去)。共にベルリン五輪に出場して以来の親友は、高田さんの遺影を胸ポケットに収めて64年10月10日の開会式で入場行進に臨んだ。

 大島氏は生前、「日本人戦没オリンピアン」を調べていた。その名簿を基に、現在は広島市立大名誉教授の曽根幹子さん(76年のモントリオール五輪で女子走り高跳び出場)らが追跡精査。一昨年に公表した論文で、高田さんが原爆症で逝ったことや、新たに戦病死者らを突き止め、戦没オリンピアンは少なくとも37人いることを明らかにした。

 今回の写真展に向け、孫のトシアキさんは、曽根さんの協力も得て作品の背景を探り、48点を選定した。「オリンピアンだった祖父の写真は、娘を奪われ自らの体もむしばんだ原爆の恐ろしさや悲しみを乗り越えようと、スポーツに希望を託したことも伝える。いずれは広島でも展示会を開きたい」と話している。

 「もうひとつのオリンピック 高田静雄・聖なる道」と題した写真展は、いずれも「キャノンギャラリー」で。7月26日から8月1日までは東京・銀座、8月20日から29日までは大阪・中之島で開かれる。(西本雅実)


この記事の写真

  • 1958年8月6日、平和記念公園(広島市中区)の原爆慰霊碑に納められている「原爆死没者名簿」に見入る参列遺族(高田トシアキさん提供)
  • 60年のローマ五輪に伴う国際写真コンテストで選ばれた代表作「準備運動」。陸上競技に打ち込む広島の女子高校生を被写体とした(高田トシアキさん提供)

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