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被爆建物レストハウス改修大詰め、広島市の平和記念公園

2020/4/5
改修前のレストハウス(2018年9月)

改修前のレストハウス(2018年9月)

 平和記念公園(広島市中区)にある被爆建物レストハウスが、1929年の建設時に近い姿を少しずつ現し始めている。2019年1月に始めた改修工事が大詰めを迎え、建物を覆う工事用シートの撤去が始まったためだ。市は7月1日の再オープンに向け、内装や設備の工事の仕上げに入る。

 レストハウスは爆心地から南西約170メートルの至近にある被爆建物で、鉄筋地上3階、地下1階延べ1011平方メートル。市は18年1月に休館し、リニューアルや耐震性の確保などを目的にした改修を9億4100万円で進めてきた。

 改修では、建設当初の「大正屋呉服店」の装いに近づけるため、外壁は薄いだいだい色とする。違う色だったとの指摘もあるが、市は戦後に上塗りされた壁を剥ぎ、当初の色を確かめたとしている。戦後、屋上に加わった三角屋根は、平屋根に改める。

 建設当初に戻さない部分もある。内部の明るさを確保するため、東側の壁で戦後に追加された窓を残す。南側では地上3階、地下1階延べ約360平方メートルを増築し、エレベーターやトイレを設ける。建物の劣化が想定を上回り、壁の増設や大規模なコンクリートの打ち直しをしている。

 今年7月1日の再オープン後は、1階は観光案内所と売店、2階は休憩所、3階は米国の原爆投下で壊滅した旧中島地区を伝える展示室となる。被爆時に近い状態で残る地下室では、その場で被爆し奇跡的に助かった野村英三さん(82年死去)に関する展示をする。

 市は改修で、外壁のタイルを再利用するなど、被爆建物として可能な限り部材を残すよう工夫してきたという。市おもてなし推進担当は「観光案内所や展示施設として、当初の呉服店に近いきれいな印象に仕上げる。被爆建物の価値を保ちつつ、多くの人の憩いの場としたい」と説明する。(明知隼二)

 <クリック>レストハウス 1929年、増田清の設計で大正屋呉服店として建設された。被爆時は燃料会館として利用され、地下室を除いて全焼。出勤していた37人のうち、地下にいた野村英三さんを除く全員が亡くなった。57年からは市の東部復興事務所、82年からはレストハウスとして利用されている。広島市では一時、地下部分だけを残し、地上部分を解体・新築する議論もあった。


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  • 工事用シートが取れ始めたレストハウス。外壁は薄いだいだい色になっている

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