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尾道ロケで魅力を全国に 大林宣彦監督死去、地元撮影協力者ら感謝

2020/4/11
映画「ふたり」のロケ地となった自宅前を紹介する吉田さん

映画「ふたり」のロケ地となった自宅前を紹介する吉田さん

 10日夜に亡くなった、尾道市出身の映画監督大林宣彦さん。「尾道三部作」など多くの作品で地元ロケをし、地域の個性や生活の営みを大切にする「町守り」を呼び掛けてきた。地元の撮影協力者や映画関係者たちは死を悼み、尾道の魅力を全国に広めた功績に感謝した。

 「命を削って映画を完成させようとしたのでしょう」。1991年公開の「ふたり」で同市東久保町の自宅前が撮影現場となり、以降の作品でもスタッフを務めた吉田多美重さん(62)はしのんだ。遺作「海辺の映画館―キネマの玉手箱」では、指示する声が以前より小さくなったが、現場が緩んだときは大きな声で引き締めたという。

 木造長屋の密集地や寺社、尾道水道を往来する船など、生活感漂う日常を映し出した。「転校生」で少年と少女の体が入れ替わる「階段落ち」シーンが撮影された御袖天満宮(同市長江)。当初住民が「学問の神様を祭るのに、落ちるとは何事だ」と怒り、監督自ら説得したという。菅隆仁宮司(63)の妻依子さん(65)は「反対していた人たちも映画ができると喜び、その後は町全体が協力するようになった」と目を細める。

 氏子でもあり、監督が安全祈願した艮(うしとら)神社(同)。2018年7月、遺作撮影前に参拝したのが最後となった。永井利果宮司(44)は「足下は弱っておられたが目に力があった」としのぶ。

 遺作は2月の「尾道映画祭」で披露され、本人も登壇予定だったが新型コロナウイルスの影響で中止に。シネマ尾道(東御所町)の河本清順支配人(43)は「地元で大林さんを迎えられなかったのが心残り。大林さんの町守りの姿勢を次世代に伝えていく」と前を向いた。(森田晃司、田中謙太郎)

 ■「愛した風景残したい」作品きっかけに移住者も

 尾道をはじめ、備後地方の風景をスクリーンに映してきた大林宣彦監督。「聖地巡礼」の原型とも呼べるファンのロケ地巡り現象も引き起こした。作品をきっかけに移住したファン、景観保護団体の関係者からも死を惜しむ声が相次いだ。

 「まだ亡くなったことを受け入れられない」。尾道市東土堂町の喫茶「アンテナコーヒーハウス」店主の山口真悟さん(49)は声を絞った。「三部作」などで監督の世界観にはまり、大学時代から何度も尾道に来訪。2014年に東京から移住し店を開いた。

 尾道の再開発や映画のロケセットを用いた観光誘致には批判的だった監督。山口さんは「地域振興のための映画作りではないと教えてくれた。遺作に込めた監督のメッセージを読み解いていきたい」と話す。

 カフェ梟(ふくろう)の館(東土堂町)のマスター安達忍さん(49)も映画「ふたり」を見て、03年に岐阜県から移住。上映イベントなどで監督を手伝ってきた。18年の西日本豪雨で断水した際には100ケースの水を監督から預かり配ったが、名前は出さないよう言われたという。「優しい人だから周りが付いていった。監督が愛した風景はなくさずに残していきたい」と語る。

 架橋問題があった福山市の鞆の浦でも、計画に反対する全国組織の呼び掛け人となり、景観保全を訴えた。親交のあったNPO法人鞆まちづくり工房の松居秀子代表(69)は「景観を守る活動に尽力してくださった」と感謝した。(田中謙太郎、森田晃司、菅田直人)

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  • シネマ尾道で上映中の大林監督作品のポスターを見つめる河本支配人
  • 撮影の安全祈願のため艮神社を訪れた大林監督(2018年7月1日、尾道市長江)

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