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【クラスターとの闘い 障害者施設 見真学園の52日】<1>あの日、一変した日常 「自分が倒れたら回らない」

2020/6/15

拡声器を握り、成人棟に向かって声を掛ける見真学園の男性職員。手を振り返す利用者もいる(撮影・高橋洋史)

 「1組さん、おはよう。おお、みんな元気そうじゃね」。拡声器を通して快活な声が響く。広島市佐伯区にある知的障害者の入所施設「見真学園」。施設責任者の男性職員(47)は今も毎朝、利用者と担当職員の様子を見て回る。ただし、建物内には入らない。「万が一」を警戒し、屋外から言葉を交わす。

【グラフ】見真学園の感染者数の推移

 4月13日、利用者と職員計7人の新型コロナウイルス感染が発覚し、学園の日常は一変した。園内の感染者は増え続け、58人にまで膨らんだ。障害が重く、入院という環境の変化に耐えられない人もいる。軽症者は園内にとどまり、未知なる感染症と闘ってきた。

 最後まで療養を続けていた利用者4人の陰性が確認されたのは、今月3日。クラスター(感染者集団)は収束し、学園には笑い声と穏やかな時間が戻ってきた。医師や行政も「通常生活に戻っていい」と太鼓判を押す。「ここまで来られた。本当にうれしい」。男性職員は、手を振り返す利用者の姿に目を細める。

 「それでも、あんな体験をしたら慎重にならざるを得ない」と男性職員は言う。園は自粛生活を、まだ続けている。利用者は陽性になった時期も踏まえて居住エリアを分け、互いに行き来せずに過ごす。「なぜって、ここは一時、本当に戦場みたいだったんです」

 ▽感染一気 急変に恐怖

 見真学園は緑豊かな山の手にある。成人棟と児童棟に分かれ、知的障害のある77人が暮らす。敷地内には食堂や作業棟、イチゴ栽培のハウスもある。1967年の開園から50余年、障害者の生活の場として地域に根付いてきた。新型コロナウイルスの集団感染は、その成人棟を襲った。

 4月12日朝。異変に気付いた男性職員(37)は、血の気が引いた。担当クラスの複数人が発熱している。保健センターやかかりつけ医、休日当番医に電話で相談を重ね、中区の市立舟入市民病院に6人を運んだ。「インフルエンザなら、と願ったんですが…」。翌13日、全員の陽性が判明した。

 その日すぐ、区保健センター長の富安真紀子医師(47)が園に駆け付けた。残る利用者や職員のウイルス検査をするためだ。他区の医師の力も借り、たった2日で計109人を調べた。

【ダイジェスト】新型コロナウイルス感染拡大 危機の中の中国地方


 ■電話鳴り続く

 飛沫(ひまつ)が散ることを踏まえ、検査は屋外で行った。白いガウンを着た医師らに囲まれて動揺する利用者たち。職員が体を押さえないと、検体を採取できない。「収束まで長期戦になる」。富安医師はそう感じたという。

 検査の結果、陽性者は一気に40人に膨らんだ。「信じられなかった」。施設責任者の男性職員(47)は言う。新型コロナの対策には万全を期してきたからだ。買い物訓練などの学外活動を全て見送り、保護者の面会も断った。「なのに、針の穴からウイルスの侵入を許してしまった」

 落ち込んでいる暇はなかった。14日にクラスター発生が公表されると、事務所の電話が鳴りやまなくなった。「広島中、みんな怒っとるぞ」「責任を取れ」。大声を出す人も、無言電話もあった。「真摯(しんし)に応じよう。不安を与えてしまったのだから」。ベテランの男性職員(70)と2人で、受話器を握り続けた。それから数日間、電話は深夜にも鳴り響いた。

 同時に、利用者をケアする現場は、極度の緊張に包まれていた。感染者が一人、また一人と発症し、症状が進む。いつ急変するか分からない―。そんな恐怖と隣り合わせだった。職員は全員、自宅に戻らず、園内の寮や管理棟の空き部屋に泊まり込んだ。車中泊を続けたメンバーもいた。

 ある男性職員(32)も「ギリギリの状態だった」と明かす。自らも陽性となったが熱やせきはなく、園にとどまりケアに当たった。目の前にはぐったりした利用者がいた。熱がぐんぐん上がり、息遣いも荒い。なのに簡単に入院させることもできない。環境が変わると不安定になり、暴れたり、自傷行為に走ったりしかねない。目を離せず、夜は交代で利用者の部屋に泊まり込んだ。

 ■「本当に壮絶」

 救いは「いつでも電話を」と、臨戦態勢を敷いてくれた医療者たち。実際、舟入市民病院の医師の携帯電話を何度も鳴らした。救急車を呼ぶ日もあれば、夜中に車を走らせ、利用者を病院に運んだこともあった。

 別の男性職員(60)は「発生後の1、2週間は本当に壮絶でした」と振り返る。この職員も感染が判明。味覚、嗅覚の異常やせきがあったが、入院しようとは思いもしなかったという。「言葉にできずとも入所者には意思がある。心の機微が分かる私たちがケアするしかない、と思っていた」

 それでも同僚が体調を崩して入院すると、心は折れそうになった。「自分が倒れたら回らない。もう駄目かもしれない」。そんな思いが幾度もよぎった。 

    ◇

 陽性者が初めて確認された4月13日から、全員陰性になるまでの52日間。学園はクラスターをどう乗り越えたのか。関係者の取材を基に闘いの日々をたどる。(田中美千子)

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この記事の写真

  • 園内の感染が終息し、穏やかな時間が流れる見真学園の児童棟。職員はガウン姿で利用者に寄り添う(撮影・高橋洋史)
  • 上空から見た見真学園一帯(撮影・高橋洋史)
  • 看護師たちが着替えに使う園内の部屋にはゴーグルも(撮影・高橋洋史)

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