被爆直後「迷子」の手握り 当時の保姆、鍋屋さん証言
1945年8月6日の原爆投下で親たちが不明となった乳幼児・児童を保護した広島市の「比治山迷子収容所」。未曽有の事態での救護と保育に、鍋屋(旧姓・日浦)コスヱさん(92)=広島県府中町=は、急性放射線障害に襲われながら務めた。「子どもたちはおびえるばかりでした。とにかく手をつなぎました…」。被爆75年の今夏、手記を書き初めて証言にも応じた。
コスヱさんは44年、宇品町(現南区)にあった「広島戦時保姆(ほぼ)養成所」を卒業して市に採用された。
「あの日」は爆心地から約3キロ、宇品町の自宅を出たところで「ピカッと照らされた」。瓦に埋まった母を父と助け出して近くの畑の小屋に大八車で運んだ。
さらに六つ違いの姉シノヱさんを捜し、勤め先の大洲町(同)で遺体を見つける。「すぐ上の姉と木を組んで焼いたのは12日頃だったと思います」。出血や下痢が続くところへ比治山国民学校に出るよう連絡があったという。同校は大破したが焼失を免れ、臨時救護所の一つとなっていた。
南区の比治山小が受け継ぐ「昭和二十年度日誌」は、「八月八日 迷子収容所開設サル」「十八日 保姆来所ス」と記述している。運営した市社会課9月2日付「概要」によると、91人(うち40人が5歳以下)を保護。32人が引き取られたが、9人が「衰弱死亡」。「市保姆一二名」が4人交代で出たとある。
身元を言えない幼児には「保護された日を誕生日とし、その場所にちなんだ名前を付けました」。運動場では市民が穴を掘って遺体を焼く光景が続く中、17歳の保姆は幼い子らのそばで寝泊まりもした。枕崎台風襲来の9月17日は、「教室の黒板を外して窓に立て掛け、雨風が入らないよう夜通し頑張りました」。県内では2012人もの死者・行方不明者が出た。
引き取り手が現れなかった16人は、山下義信氏が五日市町(現佐伯区)で開いた広島戦災児育成所に46年2月に移り、コスヱさんはそこでも保育に当たった。「懸命に生きようとする姿に自分事は言っておれなかった」と振り返る。
結婚を機に48年市を退職し、夫の実家があった材木町(現平和記念公園)に1年余住む。正明さん(2004年に79歳で死去)は両親や妹2人を失っていた。公園建設から移転先で木工所を営む夫を支え、1男1女を育て上げた。
被爆体験は家族を別にすれば話してこなかった。今年に入り、米国と中国の対立激化や、新型コロナウイルス感染拡大のニュースに接して、「戦争の近くにはおりとうない。家庭や社会の毎日はどれほど大切なものか」。その思いに駆られ語る気になったという。
原爆資料館が収録・公開する「被爆者証言ビデオ」。これまでの1166人で「比治山迷子収容所」を巡る証言はないという。本年度は感染予防から収録を見合わせているが、再開となればコスヱさんは応じるつもりだ。(西本雅実)
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