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【あの日から 広島土砂災害6年】<4>チームメート エースの追悼試合

2020/8/19 8:08

佐々木さんが着けていたのと同じ背番号18のユニホームを手に、追悼試合での全力プレーを誓うチームメート(撮影・大川万優)

 ▽白球の絆 ずっと続ける

 広島土砂災害が発生して6年となる20日、当時避難所になった梅林小(広島市安佐南区八木)のグラウンドでソフトボールの試合が行われる。災害で犠牲になった佐々木秀敏さん=当時(53)=の追悼試合。梅林体協ソフトボール部員だった。6回目となる今年も佐々木さんを知るチームメートたちが集い、在りし日をしのぶ。

 もの静かで、みんなから秀(ひで)さんと呼ばれて親しまれた佐々木さん。30代半ばで入部し、背番号はずっとエースナンバーの「18」。週2回の練習では誰よりも早くグラウンドに来ていた。佐々木さんが在籍していた時の監督の一人、田村政司さん(68)は「ストイックな姿にチームの士気が上がり、強くなった」と振り返る。毎年秋にある地元の大会で2004年から3連覇を達成。佐々木さんはその立役者だった。

 ▽試合前 黙とう

 あの日、同小近くの自宅にいた佐々木さんと妻厚子さん=当時(53)=は土石流にのみ込まれた。災害から10日後、2人の葬儀が営まれた。部員たちは自らも被災したにもかかわらず、次々と駆け付けた。

 「最高のチームメートで、生涯の友だった」。二十数年前、同じ時期に入部し、バッテリーを組んだ立上真一さん(59)は言う。災害の前日に電話し、次に会う約束をしたのが最後の会話になった。約10年前に退部してからも練習に顔を出していたが、被災後はグラウンドに近寄れなくなった。「エラーした選手を責めたことがない。そんな秀さんを思い出して、涙が止まらなくなるんです」

 部員は皆社会人。普段の仕事抜きで人生や家族のことを語り合った。年代も幅広い。だからこそ互いを思いやり、絆を紡ぐことに時間をかけた。かけがえのない仲間だった。

 「秀さんは何度もチームを救ってくれた。真剣勝負で恩返しをしよう」。災害の1年後、田村さんたちが歴代の部員に追悼試合を呼び掛けた。約80人が集まった。それから毎年8月20日前後に開く恒例行事になった。プレーボール前に、佐々木さんを含めた災害の犠牲者に黙とうをささげる。

 ▽絶対忘れない

 被災各地での今年の追悼行事は、新型コロナウイルス感染拡大のため縮小・中止が相次ぐ。七回忌となるのを機に、犠牲者の合同法要を今回で最後にする寺もある。「今後、新たな部員も入部してくる。秀さんと災害を絶対に忘れないよう、ずっと続けていきたい」と部長の相本和紀さん(51)は誓う。

 20日の試合では、背番号18のユニホームをベンチに掲げる。「秀さん、天国でも投げているだろうな。またどこかで一緒にやりたいな」。ピンチに堂々とマウンドに向かった背中を思い浮かべ、みんなで白球を追い掛ける。(木原由維) 

【あの日から 広島土砂災害6年】
<1>息子の自転車 2年後に届いた贈り物
<2>新たな絆 隣人たちと開く教室
<3>祖母への誓い 大学で学ぶ防災

<4>チームメート エースの追悼試合

<5>遺志をつなぐ 消防士の部下、警察官の長男


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  • 故佐々木秀敏さん

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