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【バスケットボール】選手さろん特別編 広島ドラゴンフライズ・堀田剛司監督(42)

2020/12/24 8:31
堀田剛司監督

堀田剛司監督

 ▽四六時中 戦術のこと考え

 ―初のB1の舞台で厳しい戦いが続いています。オフは切り替えができていますか。

 起きている間はどうしたらチームがうまくいくか、ということばかり考えている。ベッドに入った後に戦術を思いつき、枕元のメモにペンを走らせる時があるくらい。単身赴任で家族が新潟にいることもあって、なかなか切り替えられない。

 ―新型コロナウイルスの影響で、好きなお酒の場も減ったのではないですか。

 1人で晩酌はしないタイプなのですごく減った。休みの楽しみは温泉に行くことくらい。時間がない時は近場で、時間がある時は湯来ロッジに行く。1時間以上入って体をリラックスさせようとしている。

 それと、僕はコーチ仲間に恵まれている。指導者として携わった新潟や金沢をはじめ、電話をしてきてくれる人が多い。

 ―仲間と言えば、堀田監督は島根監督の鈴木裕紀氏が10月に辞任した時、「パワハラが理由ではない」と訴えられました。

 昨季パワハラで処分されたから、2度目のパワハラではないかという臆測が流れた。ただ僕は彼が体調を崩していることを知っていたので、それは違うと発信した。この発言がニュースになって鈴木も見たそうで、ありがとうと何度も言われた。

 中学時代、一緒に神奈川県選抜に選ばれ、湘南工大付高に進んだ時は2人で決めたほどの仲。島根で監督をしていた時も、広島の試合を見てアドバイスをくれることがあった。彼にしか話せないこともある。

 ―6日の秋田戦では、恩師の中村和雄氏が来場していました。試合後には「広島はくだらない」と厳しい言葉も浴びました。

 僕が引退した後に(中村氏が)新潟の監督に就任し、僕をアシスタントコーチにしてくれた。秋田戦も他の用事があって来ない予定だった。ただ僕が、1日でも良いから来てもらえないかとお願いした。会場ではファンの前で酷評されたけど、裏では違った。優しく、「このディフェンスをやったらどうだ」といくつかアドバイスをもらった。愛のむちだと思っている。何回も何回も頑張れよと言ってくれた。

 ―指導者としての原点をつくった方なのですね。

 そうですね。ただ、指導者を志したきっかけはもう少し前にある。横浜の選手時代、選手兼任でスクールのコーチをしていた。幼稚園児から中学生までを教え、指導の楽しさを知った。子どもが楽しそうにプレーするのを見て、引退後の道を決めた。

 ―ファンに伝えたいことはありますか。

 皆さんが期待する結果を出せていないのに、本当に温かく応援してくださり、感謝している。一つでも多く勝てるようにもう一度、自分たちのやってきたことを確立させたい。(聞き手は矢野匡洋) 

 ほった・たけし 1978年2月13日生まれ。横浜市出身。神奈川・湘南工大付高から日体大に進学し、全日本大学選手権で4連覇を達成。卒業後は新潟やオーエスジー(現三遠)などでプレーし、2003年に日本代表に選ばれた。14年に引退し、新潟のコーチを経て17年から金沢で監督を務めた。昨季から広島で指揮を執る。 

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