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戦前の旧猿楽町の様子を伝える写真

2020/12/31 23:00
猿楽町の防護団の集まりだろうか。「岩崎」「コダック」の看板が見えることから、猿楽町通りにあった「岩崎カメラ レコード店」前とみられる。現在のおりづるタワーの裏側付近(1933年3月撮影、細野澄子さん提供)

猿楽町の防護団の集まりだろうか。「岩崎」「コダック」の看板が見えることから、猿楽町通りにあった「岩崎カメラ レコード店」前とみられる。現在のおりづるタワーの裏側付近(1933年3月撮影、細野澄子さん提供)


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  • 自動車修理工場を営んでいた実家の前で、米国製乗用車をバックに記念写真に納まる中川さん(左)と父親の輝義さん。現在のエディオン広島本店西館付近(1938年ごろ撮影、中川太芽雄さん提供)
  • 皇紀2600年の祝賀パレードの日に鉢巻きを締め、日の丸の扇子を手にする猿楽町の子どもたち。旧広島市民球場跡地にあった広島護国神社とみられる(1940年撮影、中川太芽雄さん提供)
  • 皇紀2600年の祝賀パレードで、猿楽町通りをパレードする少女たち。右から3人目が細野さん(1940年撮影、細野澄子さん提供)
  • 旧広島市民球場跡地にあった広島護国神社で撮影された「猿楽町西組子供常会」の集合写真。中央の男性は猿楽町の子どもたちに親しまれていた岩崎良太郎さん。原爆の犠牲になった(1944年6月撮影、中川太芽雄さん提供)
  • もちつきをする猿楽町の住民たち。現在の旧広島市民球場跡地付近にあった広島護国神社の鳥居周辺とみられる(細野澄子さん提供)
  • 「松本電機商会」の並びにあった岡野重商店の屋上に立つ細野さん(右)。現在のエディオン広島本店西館の西側付近(1940年ごろ、細野澄子さん提供)
  • 自動車修理工場を併設した自宅の屋根に座る中川さん。戦前、猿楽町一帯は木造家屋が並んでいた(1943年ごろ撮影、中川太芽雄さん提供)
  • 大正期の「松本電機店」前に立つ細野さんの父親の松本房之助さん。電灯の傘などが並ぶ。広島県産業奨励館(現原爆ドーム)の近くで創業し、昭和初期に東側に移転したという。松本さんは原爆の犠牲になった(1924年2月撮影、細野澄子さん提供)
  • 実家の跡地付近に立ち「夏は橋から川に飛び込み、小さいころは産業奨励館(現原爆ドーム)の手すりをすべりよった」と語る中川さん(撮影・大川万優)

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