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原爆手記刊行、75年間で6194冊 家族・市民、聞き書き担う

2021/1/5 23:00
原爆死した級友を悼み広島一中生徒らが1946年に出した「泉」(中央)や広島市が50年に募集した「原爆体験記」(左隣)をはじめ手記の刊行は今日まで続いている(撮影・高橋洋史)

原爆死した級友を悼み広島一中生徒らが1946年に出した「泉」(中央)や広島市が50年に募集した「原爆体験記」(左隣)をはじめ手記の刊行は今日まで続いている(撮影・高橋洋史)

 広島・長崎の体験を書いた「原爆手記」の刊行が、2020年末までの被爆75年間で6194冊に上ることが分かった。年代別では、生存被爆者が約37万〜35万人を数えた1980年代が1402冊と最多で、10年代は763冊。平均年齢が83.31歳の20年は42冊となったが、体験者の子や孫、市民が編さん刊行に取り組む。証言の聞き書きが、核兵器の非人道性を伝えてきた手記の継続を支えている。

 被爆50年間の「原爆手記掲載図書・雑誌総目録」(3677冊の書誌情報を収録)の著者である宇吹暁さん(74)=呉市=を代表とする手記研究会が、私家版や団体機関誌の掲載などを含めて調べた。原爆資料館と国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の入手・寄贈書誌を洗い直し、過去にさかのぼっても探し確認した。

 青森県の被爆者健康手帳所持者は42人。県原爆被害者の会は昨年10月、「未来につなぐ「原爆はいらない」」を結成60周年記念誌として400部発行。県内各図書館などに贈った。

 広島市千田町(中区)と避難した郷里の長崎市で二重被爆した福井絹代さん(90)や胎内被爆の男性ら新たに18人の手記・証言を収める。会事務局で介護福祉士の辻村泰子さん(62)は「核兵器廃絶の声や運動が青森で続いていることも知ってほしい」と、親族に被爆者はいないが編さんを担った。

 京都「被爆2世・3世の会」は結成の翌13年から、親たちや原爆症認定訴訟原告の体験や思いを聞き取り、「語り継ぐヒロシマ・ナガサキの心」と題して20年7月に出版した。掲載した50人のうち11人が既に亡くなったという。

 被爆75年は新型コロナウイルスの感染拡大で聞き取りも難しくなった。福岡県篠栗町のエフコープ生協が94年から続ける「つたえてくださいあしたへ…」は第26集を延期に。暦年の証言集から朗読シナリオを編み20年6月に発行した。

 同年末に出たのが、在韓被爆者の証言集「我が身に刻まれた八月」日本語版。広島11人と長崎9人を収める。韓国政府の調査に基づく08年刊行の書籍を政府傘下の支援財団と日韓の市民が翻訳に当たった。

 原爆手記集は、広島では翌46年8月、広島一中(現国泰寺高)生徒らがガリ版刷りで出した「泉 みたまの前に捧ぐる」に始まる。宇吹さんが広島大助教授だった99年にまとめると、米軍主導の占領統治が明けた52年4月までに120冊534編の掲載をみた。

 被爆20年を機に学校や事業所、労組、地域被爆者団体が刊行主体となり、被爆50年の95年には300冊を数えた。被爆者数は在外を含めて20年3月末時点で13万6682人。原爆体験を聞き取り一人称でまとめる時は確実に狭まっている。(西本雅実)

 ▽人間の惨禍を知る手掛かり 宇吹暁さんの話

 原爆手記は人間の惨禍を知り、被爆体験がどう伝えられ、受け止められたのかを考える重要な手掛かりだ。被爆者が残そうとしたから続き、引き継ごうとするのが聞き書きといえる。家庭や学校、地域で取り組めることはまだまだあるし、手記を生かしていくことが課題でもある。 

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