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【選手さろん 広島ドラゴンフライズ】ジャマリ・トレイラー(27) アメフット選手 夢だった(2019年10月24日掲載)

2019/10/24 10:37
ジャマリ・トレイラー

ジャマリ・トレイラー

 ▽アメフット選手 夢だった

 ―ジャンプ力や俊敏性、当たりの強さなど身体能力の高さには、試合のたびに驚かされます。子供の頃からバスケット一筋だったのですか。

 最初に始めたスポーツはフットボール。地元の(米プロフットボールNFL)シカゴ・ベアーズのファンで、フットボール選手になりたいと思った。ランニングバックやラインバッカーなど、いろんなポジションを経験した。フィジカルが強いのはそのおかげだと思う。

 ―なぜフットボールを続けなかったのですか。

 背が高くなり過ぎて、相手のタックルが膝に入るようになった。このままだといつかけがをするなと思ってやめた。

 ―そこからバスケットを始めたのですか。

 フットボールをやめた後、スポーツを一切やっていない時期があった。実は当時いろいろ問題を抱えていて、高校にも行かず街をぶらぶらしていた。見かねた高校のバスケットボール部のコーチに、「外にいてもトラブルに巻き込まれるから体育館に来い」と言われてやるようになった。だから本気でバスケットを始めたのは16歳だった。

 そこからのめり込み、イリノイ州の選抜メンバーに選ばれるようになった。卒業する時に(スポーツ専門学校の)IMGアカデミーから奨学金をもらえたので、そこに通った。ただ大学に行きたかったので1年でやめて、カンザス大に進んだ。

 ―カンザス大は強豪ですが、どんな思い出がありますか。

 大学3年の時にユニバーシアードで優勝したんだけど、その時の米国代表はカンザス大の単独チームだった。大学では常にハードワークをすること、自分の役割に徹する大切さを学んだ。それがプロになって生きている。

 ―卒業後は欧州のリーグでプレーしていましたが、なぜ全く環境の異なる日本に来たのでしょうか。

 常に新しい道を開拓したいという思いがあった。国によっては治安とかバスケット以外のことを気にしないといけないけれど、日本は安全で素晴らしい国だと聞いたのでチャレンジしようと思った。

 ―新しい文化に順応するまで苦労したのではないですか。

 練習環境などでストレスを感じることはなかったし、日常生活の苦労もあまりなかった。唯一順応する必要があったのは審判のジャッジくらい。国によって基準が違うので、日本語は話せないけど、なんとかコミュニケーションを取りながら理解しようとしている。
 ―広島で3季目を迎えました。

 チームも街もすごい気に入っている。最近は自分のことを知っている人が増えて、街中で声を掛けてくれる。みんなフレンドリーで居心地がいい。そう言えば、広島の歴代外国人選手の中で在籍年数は最長になるんだよね。すごい光栄に思う。(聞き手は日野淳太朗)

 ジャマリ・トレイラー 1992年6月24日生まれ。米シカゴ出身。203センチ、104キロ。パワーフォワード兼センター。米カンザス大を卒業後、2016年からオーストリアやギリシャのリーグでプレー。18年3月に広島入り。高い守備力に加え、泥くさいプレーでチームを支える。

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