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64年聖火ランナー、リレー心待ち 広島市安佐南区の山中さん、トーチなど保管

2021/3/25 21:13
自身が使ったトーチやユニホームを前に57年前の聖火リレーを振り返る山中さん(左)。隣は妻八重子さん(撮影・山崎亮)

自身が使ったトーチやユニホームを前に57年前の聖火リレーを振り返る山中さん(左)。隣は妻八重子さん(撮影・山崎亮)

 1964年の東京五輪で聖火ランナーを務め、地元の広島市安佐南区祇園地区を走った山中幸男さん(74)は、自らが使った当時のトーチやユニホームなど約10点を今も大切に保管している。25日、今回の東京五輪の聖火リレーが福島県からスタート。「人生に大きな意味を持つ出来事だった。今回の走者にもきっと、貴重な経験になる」。聖火が再び広島入りする日を心待ちにする。

 日の丸があしらわれたランニングシャツ、聖火リレー広島県実行委員会からの委嘱状、記念の手拭い…。山中さん方には、57年前の晴れの日を物語る品々が残る。コースの詳細や県内全81区の走者の名前が記された「広島県実施要項」もある。県に残っておらず、3年前に三次市立図書館で見つかった際に話題となった貴重な資料だ。そのほか当時の写真も80枚以上ある。

 トーチは旧祇園町に託した後、一時は行方不明に。妻八重子さん(71)が「わが子に見せたい」と、80年ごろに公民館の物置から捜し出したという。今は自宅の床の間に飾ってある。

 山中さんは当時、広陵高3年だった。陸上部の長距離選手。町に推薦され、祇園大橋のたもとから約1キロを駆け抜けた。まだ建物より田んぼが目立ち、普段は人通りが少ないコースだったが、本番は黒山の人だかりに。「緊張で頭が真っ白になった。無事に聖火を渡し、ほっとしたことはよく覚えている」と笑う。

 卒業後はマツダに勤め、退職した今は太田川漁協(安佐北区)の組合長を担う。聖火をつないだ経験は、その後の歩みの支えにもなったという。「代表として恥じない生き方をしていかないと。強く、そう思わされた」と力を込める。

 だからこそ2度目の東京五輪が逆風にさらされる現状が「歯がゆい」とも。山中さんは今回の走者にエールを送る。「五輪を盛り上げてほしい。コロナでしぼんだ経済はもちろん、人の心もきっと元気にできる」(田中美千子) 


この記事の写真

  • 1964年の聖火リレーの一幕。大観衆に見守られ、トーチを手に走る山中さん
  • トーチを掲げる山中さん(中央)
  • コースの両側を埋めた観客
  • 走者を率い、先頭を走る山中さん(中央)
  • 山中さんは、県が作成した冊子や記念品のメダルなども保管している
  • 1964年のリレーで前の区間の走者から聖火を受け取る山中さん(左)

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