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広島・中央公園のサカスタ用地に被爆遺構 最大級の規模、旧陸軍施設

2021/6/15 0:02

輜重隊施設の被爆遺構が見つかった、中央公園広場の発掘現場。中央の石畳は、軍馬に水をやる水槽施設の跡とみられる(撮影・藤井康正)

 広島市がサッカースタジアム建設予定地の中央公園広場(中区)で進めている発掘調査で、旧陸軍の輸送部隊「中国軍管区輜重(しちょう)兵補充隊(輜重隊)」施設の被爆遺構が見つかったことが14日、分かった。広島城西側の広大な敷地に厩舎(きゅうしゃ)や兵舎などがあったが、米軍の原爆投下で壊滅。多くの兵士が被爆死した。市内の被爆遺構の発掘例としては過去最大級となる。

 市は昨年、建設工事で地下遺構が失われる前に現存状況を調べ、記録を残すための発掘調査を始めた。対象エリアは約1万4千平方メートル。市から委託を受けた市文化財団などが今春から、被爆当時の地層を広く掘り出し、その大半から建物の基礎や石畳、水路などが相次ぎ出土した。

 関係者によると、米軍が原爆投下前の1945年7月に撮った航空写真などを参考に輜重隊の遺構だと確認。戦地で軍需品を運ぶための軍馬を飼っていた厩舎や水を与える水槽の跡などとみられる。軍隊生活を伝える鉄かぶとや軍用食器もあった。

 輜重隊の兵営は現在の中央公園ファミリープール(同)から同公園広場西側にかけて広がっていた。厩舎のほか、輸送用自動車を収める車廠(しゃしょう)、兵舎、弾薬庫など約30施設が立ち並び、戦時中は約千人が配属された。爆心地から1キロ以内で、原爆投下により一帯は全壊全焼。400人以上が犠牲になったとされる。

 跡地は戦後すぐに住宅用地となり、旧厚生省所管の住宅営団などが戦災者のための簡易住宅を次々と建てた。当時、焼け跡を十分に整地する前に建設を急いだことが、今回「想定以上」(関係者)に大規模な被爆遺構が確認された背景にあるとみられる。

 広島市は明治期以降「軍都」として発展し、軍事施設が集まった広島城と周辺には被爆建物の中国軍管区司令部跡(旧防空作戦室、同)などが残っている。

 市は当初、今月にも市民への現地説明会を開く検討をしていたが、新型コロナウイルスの感染拡大を理由に見送った。代替策を検討中という。発掘調査は当初予定通り、来年3月末までの計画で、サカスタの建設スケジュールへの影響は現時点ではないとみられる。(水川恭輔)

 <クリック>中国軍管区輜重兵補充隊 馬や自動車で、武器弾薬や食糧の運搬を担う部隊で、隊員はここで訓練後に戦地に赴いた。広島城西側に輜重兵第五小隊として1880年に発足。その後に拡張や改称をした。「広島輜重兵隊史」(1973年刊)は、原爆の被爆死・行方不明者は計423人、負傷者は計343人に上ったとしている。

【特集】新サカスタへの道 広島中央公園サッカースタジアム建設これまでの経緯


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