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被爆直後も助産師は命つないだ 「生ましめんかな」モデルの小嶋さんから聞き取り

2021/7/17 21:12
「生ましめんかな」の詩碑前に立つ小嶋さん(左)と田中さん(撮影・高橋洋史)

「生ましめんかな」の詩碑前に立つ小嶋さん(左)と田中さん(撮影・高橋洋史)

 広島市中区で助産院を営む田中敬子さん(55)が原爆詩人・栗原貞子の代表作「生ましめんかな」のモデルの一人、小嶋和子さん(75)=南区=から聞き取りをしている。原爆投下直後の混乱の中、自ら大やけどを負いながら出産に立ち会った助産師の存在を記録し次世代へ伝えていく。

 「こわれたビルディングの地下室の夜だった」―。千田町(現中区)にあった広島貯金支局の「ローソク一本ない」暗がりで平野美貴子さん(1981年に72歳で死去)は、助産師三好ウメヨさん(71年に65歳で死去)の助けを得て小嶋さんを出産した。その光景をモチーフに詩は編まれた。

 被爆2世の田中さんは、日本助産師会広島県支部(現広島県助産師会)の支部長だった約20年前、助産師の被爆体験に関する資料を集め始めた。「記録がほとんど見つからず、犠牲者が多くいたはずなのに慰霊碑もないと気付いた」

 2015年、中区東白島で自宅出産をサポートする助産院を開業。向かい側に立つ日本郵便中国支社の一角に「生ましめんかな」の詩碑があると知った。「運命」を感じ、知人を介して小嶋さんと面会。以来、交流を続けている。

 「おぎゃーっと聞こえた時、産婆(さんば)さんが神様に見えた」「一瞬、みんなが喜んでくれた」―。田中さんは、小嶋さんが母から聞いた話を書き留めてきた。高校時代に報道を通して注目され「被爆者であることを隠したかった。真実と向き合うのが怖かった」とも打ち明けられた。

 5年前から2人は、詩碑の前で修学旅行生たちに命の尊さを語っている。「思いを受け継いでくれて感謝している」と小嶋さん。田中さんは「あの場にいた人たちは、生きる希望を感じたはず。懸命に命をつないだヒロシマの助産師のことを知ってほしい」と力を込める。8月、NPO法人「Umiのいえ」(横浜市)の機関紙にコラムを寄稿する予定だ。(桑島美帆)

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