「原爆の日」特集

伝える決意 広島の林さん、催しで初証言

2014ヒロシマ2014/8/7 0:08
卒業してから初めて訪れた観音中であの日を振り返る林さん(左から2人目)。時に驚きの表情を浮かべながら聞き入る左から喜子さん、美寿希さん、真弓さん、京子さん(撮影・荒木肇)

卒業してから初めて訪れた観音中であの日を振り返る林さん(左から2人目)。時に驚きの表情を浮かべながら聞き入る左から喜子さん、美寿希さん、真弓さん、京子さん(撮影・荒木肇)

 心に、体に傷を負った被爆者たちが6日、広島市内でそれぞれの体験を語った。69年の歳月は、遠い記憶を薄れさせる。いまこそ、伝え始めたい、語り継ぐとの覚悟から。核兵器廃絶と世界平和を願う「原点」の言葉が被爆地に満ちた。

 ▽妻にも話せずに封印の69年間 いま懸命に

 封印した記憶。自分の代わりに亡くなった人がいるのかもしれない―。69年間、妻にさえ話せなかった被爆体験を、広島市中区の林正男さん(82)が区内であった催しで初めて証言した。会場には妻と娘、孫の姿も。あの日いた学校跡も一緒に訪れた。「いい世の中にするのに役立つなら」。不器用ながら懸命に言葉をつむぐ姿に、家族はその思いの深さをかみしめた。

 原爆被害者相談員の会主催の「証言のつどい」に招かれた林さん。広島県内外の大学生たち10人を前に切り出した。「本当ならあの日、死んどった」

 当時13歳。第二国民学校(現観音中、西区)高等科2年生だった。6日は学徒動員され、救護班として爆心地から460メートルの袋町国民学校(現袋町小、中区)に待機するはずだった。ところが担任に用務を言い付けられ、第二国民学校へ。それが生死の分かれ目だった。

 爆心地から2・4キロ離れた学校でも天井は落ち、窓は飛んだ。教室から外に出るとけが人だらけ。倒れた女生徒の腕を取るとずるりと皮がむけた。「あの感触は忘れられん」。救護の最中、「黒い雨」に打たれた。人に言われるまで、首や頭のやけどに気付かなかった。

 舟入幸町(中区)の自宅に急いだが火災に妨げられ、6日は己斐町(西区)の親戚宅へ。翌朝、再会した父は半身を焼かれ、臨月の母も体中にガラスが刺さっていた。帰らない10歳と5歳の弟を捜したが、遺骨も見つからなかった。

 家計を支えるため、林さんは翌春の卒業後、建具屋に就職。混乱の戦後を必死に生きた。24歳で喜子さん(79)と結婚。長女坂下真弓さん(54)=佐伯区=と、次女岡部京子さん(51)=中区=を授かった。

 この日「世の中に恩を返せるなら」と語り始めた父。2人の娘は「戦争は恐ろしい」と時に熱っぽく語る姿に真剣なまなざしを注いだ。

 京子さんは「自分は被爆2世だと実感が湧いた。父の思いを受け止め、どんな未来をつくるのか真剣に考えたい」。京子さんの長女で小学6年の美寿希さん(11)も「人の命も自分の命も大事にする」。孫の言葉に林さんがうれしそうにほほ笑んだ。(田中美千子)

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