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坪井直さん死去、96歳 広島県被団協理事長【動画】

2021/10/27 14:54

坪井直さん

 被爆者運動を引っ張ってきた日本被団協代表委員で広島県被団協理事長の坪井直(つぼい・すなお)氏が24日午前10時35分、貧血による不整脈のため広島県内の病院で死去した。96歳。呉市音戸町出身。自宅は広島市西区。通夜と葬儀は25、26日に、故人の遺志で家族のみが参列して執り行われた。

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 米軍が広島に原爆を投下した1945年8月6日、広島工業専門学校(現広島大工学部)の3年だった坪井氏は、爆心地から約1・2キロの広島市富士見町(現中区)で被爆。ほぼ全身にやけどを負った。御幸橋西詰め(中区)付近に避難し、小石で地面に「坪井はここに死す」と書いたという。広島湾沖の似島(南区)の野戦病院に収容された後、母親が見つけて呉市音戸町に連れ帰ったが、同年9月25日まで意識が戻らなかった。

 その後、中学校の数学教員として教壇へ。生徒に被爆体験を語り、「ピカドン先生」とも呼ばれた。一方で、後障害の再生不良性貧血症やがんなどで入退院を繰り返し、危篤状態に3回陥りながらも奇跡的に回復した。

 86年3月、安佐南区の城南中校長を最後に定年退職した後、被爆者運動に関わるようになった。94年に県被団協事務局長となり、2004年に理事長に就任。日本被団協では00年から代表委員を務めた。「ヒロシマの顔」として、10年に核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせて訪れた米ニューヨークなど国内外で被爆体験を語り、核兵器廃絶を訴えた。

 運動を通じて被爆者援護の拡充に尽力。09年には、日本被団協が主導した原爆症認定集団訴訟の終結へ向け、麻生太郎首相(当時)との確認書に署名した。16年に現職の米大統領として初めてオバマ氏が広島市を訪れた際は平和記念公園(中区)に招かれ、手を握りながら「核兵器をゼロにするため、ともに頑張りましょう」と語り掛けた。

 つぼい・すなお 広島工業専門学校(現広島大工学部)卒。在学中に被爆し、戦後は中学教師や校長を務め、生徒に被爆体験を語った。退職後の1993年に広島県被団協事務局次長となり、94年に同事務局長、2004年に理事長となった。00年からは日本被団協の代表委員も務めた。11年に谷本清平和賞、18年4月には広島市名誉市民称号が贈られた。呉市音戸町出身。

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  • オバマ米大統領(中央)の手を握り言葉を交わす日本被団協代表委員の坪井直さん=左隣(2016年5月27日、広島市中区の平和記念公園)
  • 広島市名誉市民称号の祝賀会で、教え子たちに核兵器廃絶の必要性を訴える坪井氏(右から2人目)=2018年5月、広島市南区

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