マツダ100年 車づくりと地域

【マツダ100年 車づくりと地域】第3部 激動の経営<3>5チャンネル バブル崩壊で戦略裏目に

第3部 激動の経営2020/1/29 22:46
アンフィニ店の専売車として1991年に発売したRX―7(91年10月、マツダ本社)

アンフィニ店の専売車として1991年に発売したRX―7(91年10月、マツダ本社)

 平成が始まって間もない1989年1月13日。マツダの古田徳昌社長は広島市中区で記者会見を開き、こう切り出した。「高級車を扱う新販売網のユーノス、軽専用のオートザムを合わせた5チャンネル体制で販売を強化する」

 国内店の5系列は、5倍の台数を売るトヨタ自動車と同じだった。系列を増やすには、店舗の整備や専売車種の開発が求められる。投資は巨額になる。大きな挑戦だった。

 新系列の本命は都市部の顧客を開拓するユーノスだった。深く関わった元マツダ常務の古田正雄さん(75)は5系列について「スタートはうまくいった」と言い切る。そして続けた。「ただ、バブルの崩壊を読めなかった」
(ここまで 284文字/記事全文 1905文字)

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  • 記者会見で5チャンネル化を発表する古田社長(右)と山本会長(1989年1月)
  • 「バブルに翻弄された戦略だった」と話す古田さん
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