マツダ100年 車づくりと地域

【マツダ100年 車づくりと地域】第5部 地元と共に<6>経済界 世界と闘い、広島をリード

第5部 地元と共に2020/7/21 22:28

 ▽成長と貢献 高まる期待

 広島市中区の紙屋町地下街シャレオ。建設中の1990年代後半、マツダに資金協力の依頼があった。「なぜ地下街の開発にマツダが出資するのか」。元会長の竹林守さん(85)に疑問を投げ掛けたのは、経営権を握る米フォード・モーター出身の幹部だった。

 広島商工会議所が地下街構想の議論を始め、90年に地元企業で新会社を設立。後に第三セクターの運営会社となり、マツダも株主に名を連ねた。依頼は、事業費が膨らみ増資の必要が生じたため。「協力するのが経済界での役割と思っていた」。竹林さんは当時、広島商議所の副会頭だった。

 マツダは地元の街づくりに協力してきた。だがバブル崩壊で経営不振に陥り、フォードの支援を仰いだ時代。竹林さんは「日本のやり方だ」と理解を求め、なんとか増資には応じた。

 ▽フォード流、拡大

 本業に経営資源を集中する「フォード流」は広がった。同じ頃、地元の部品メーカーやテレビ局の株式を手放した。地場企業との結び付きの証しでもあったが、ビジネスの効果を見込めない資産は整理した。「地域でマツダの存在感が薄れる。そう思われても仕方なかった」。思い切った決断は、業績の復活を早めた面もあった。

 マツダは100年の歩みで、地元との接し方を変化させてきた。経済界の活動は遠のいたとの声もある。広島商議所の会頭は85〜88年に務めた元社長の山崎芳樹氏(故人)以来、30年余り途絶えている。

 竹林さんが副会頭だったのは94年から97年まで。当時は会頭を出せる状況になかった。「会社の出血を止めるのが最優先。会社が倒れれば、地元への影響は計り知れない」。以降も厳しい経営環境に幾度もさらされ、本業を優先せざるを得ない面もあった。しかし地元からは今も「人材はいるのに顔が見えない」との指摘が上がる。地域トップの企業への期待は大きい。

 「次の会頭はマツダがふさわしいと心の中では思っていた」。昨年まで3期9年間、会頭を務めた元広島ガス社長の深山英樹さん(78)は明かす。2期目を終えた16年時点の思いだ。会頭の選考委員会はマツダに打診した。やはり、経営環境の厳しさなどを理由に固辞され、3期目に入った。

 ▽「御三家」として

 広島の経済界はまちづくりと深く関わってきた。前身の東洋工業は被爆からの復興を支えた。特に市公会堂(現広島国際会議場)や旧市民球場は、当時の松田恒次社長(故人)が建設に力を尽くした。今も、まずマツダと広島銀行、中国電力の「御三家」が動き、多くの企業が続く流れがある。深山さんはそうした関係に思いをはせる。

 サッカースタジアム建設や商議所ビルの移転…。深山さんの時代に道筋をつけ、後進に託した事業は「どれもマツダの協力なくして成り立たない」と言い切る。12台のマツダ車を乗り継いだファンでもある。

 この半世紀の会頭のうち約30年は、御三家とそのグループ企業が出してきた。広島銀の4人、中電グループの中電工3人に対し、マツダは1人。会員の9割以上を占める中小企業を支える商議所の機能を考えると、多くの部品メーカーと結び付くマツダが果たすべき役割は大きいはずだ。

 丸本明社長(62)は「マツダらしい貢献を継続、強化する」と誓う。5年前、広島大や県と産学官の連携組織を設けた。地域ぐるみの技術開発や人材育成にも取り組んでいる。

 地元が求めているのは、グローバル企業として世界と闘いながら、地域に寄り添い、リードする姿だろう。地域と共に成長する企業は世界でも高く評価される。1月に迎えた創立100周年の道のりは1年、1日の積み重ねから成る。次の100年は、もう始まっている。(村上和生)

 <クリック>広島商工会議所とマツダ マツダ出身の会頭はこれまでに2人。1964〜67年に務めた元専務の河村郷四氏(後に広島テレビ放送社長)と元社長の山崎芳樹氏だ。多くの役員が副会頭を担った。社長、会長経験者では渡辺一秀氏(99〜2006年)や金井誠太氏(13〜16年)がいる。現在副会頭の小飼雅道会長は昨年11月に就任した。

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 「マツダ100年 車づくりと地域」の連載は今回で終わります。

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