リポーター発

アメリカ

ピアニストの卵 フェスタで輝く  (早坂知栄子)

2013/6/27

 ハワイにはフェスティバルと名前がついたいろいろな祭りやイベントがある。フラ・ダンスのメリー・モナークは有名。日本からは青森のねぶた祭りのパレードが参加している。「まつり・イン・ハワイ」、「きき酒フェスティバル」、ウクレレ、ジャズなど枚挙にいとまがない。

 その中で異色を放っているのが、純クラシック、それもピアノをメーンとする1週間ぶっ続けのフェスティバルである。ことしが8年目となるアロハ・インターナショナル・ピアノ・フェスティバルを紹介しよう。

 2006年、ハワイ州ホノルルで第1回がスタート。創立者であり芸術監督のリサ・ナカミチは、ハワイ育ちでニューヨークのジュリアード音楽院に学び、厳しいトレーニングを受けた人である。

 4歳でピアノを始めたリサは、5歳ではじめて賞を手にしたのを手始めに、高校時代には地元のコンクールの賞を総なめにした。全米のコンクールも勝ち抜き、「私はジュリアードに行きます」と断定的に言ったので当時、話題になったものだった。

アロハ・インターナショナル・コンペティションの入賞者(6−8歳部門)

アロハ・インターナショナル・コンペティションの入賞者(6−8歳部門)

同じく、入賞者(ヤング・アーティスト部門、19−25歳部門)

同じく、入賞者(ヤング・アーティスト部門、19−25歳部門)

 ところが、難関を突破し、ジュリアードに合格したものの、リサには大きな驚きが待っていた。師事した先生に、自身の奏法を全部といっていいほど否定され、一からやり直すことを命ぜられたのである。

 この難題を超えるためには猛烈な練習が必要だった。そして、その後で自分に足りなかったことを理解した。音楽の世界の奥深さを知ったのだ。

フェスティバルが行われているコンベンション・センター

フェスティバルが行われているコンベンション・センター


 ハワイのピアニストの卵たちにとって、ジュリアードで学ぶことは、夢のまた夢で、ジュリアードの大先生たちや、日本の芸大時代にジュリアードに留学したピアニストを迎えたフェスティバルは想像以上のハイ・レベルだった。ちょうどその年は、モーツァルトの生誕250年という記念すべき年でもあり、当時の日本国総領事も大いにサポートしたものであった。

ジュリアード音楽院教授マーティン・キャニン師による個人レッスン

ジュリアード音楽院教授マーティン・キャニン師による個人レッスン

 8回目を迎えることしは、フェスティバルのコンクールも盛況だ。日本、中国、アメリカ本土はもとより、南米からも若いピアニストの応募があり、総勢100人以上が技を競う。

 ハワイを愛するリサは、自身が理想理想とする音楽祭を立ち上げた。トップレベルの教授たちを招き、演奏や指導の場を持ちたいと考えた。コンクールは年齢別に始まり、小学生、中学生、高校生、大学生を含むヤングピアニストとして競り合う。

 同フェスティバルの会場はハワイ・コンベンション・センター。6月15日から6月22日まで個人指導のクラスから、先生方による模範演奏、室内楽の夕べ、そして最終日には招待アーティスト全員参加によるオールタンゴのピアノ曲で華麗なる大演奏で幕を閉じる。 (ハワイ州ホノルル)

この記事に対するコメント
一覧

  • コメントはありません

  • この記事にコメントするへ
  • 前の記事へ
  • 次の記事へ

 あなたにおすすめの記事

記事一覧