リポーター発

インドネシア

【インドネシア】日本人も眠る墓地点在

2020/5/18
独立に貢献したとして、日本人も眠るカリバタ英雄墓地

独立に貢献したとして、日本人も眠るカリバタ英雄墓地

 コロナ禍が収まった先には…。その望みの一つに旅がありそうだ。
 インドネシアについて書かれた旅行ガイドが日本の本屋にほとんどなく、がくぜんとしたことがある。もちろん「バリ島」は別格。多種多様なガイドブックがズラリと並ぶ。しかし、それ以外の地域は、首都ジャカルタを含めて存在なきがごとくの扱いなのだ。
 そこで、日本人との関わりも含めて、いくつかの地域を紹介したい。
 ジャカルタから南東へ約200キロ、熱帯の木々や水田を眺めながら電車で3時間。バンドンは標高700メートルの高原都市だ。社会の教科書でもおなじみ、「アジア・アフリカ会議」(1955年)の舞台である。
 第2次世界大戦から10年。欧米の植民地支配から独立を勝ち取った国々を中心に、日本を含む29カ国が集まり、相互協力や世界平和を訴えた。その会場は今、博物館として歴史を伝える。議長を務めたスカルノ大統領の開会宣言や当時の映像が流され、数多くの写真や日本など各国の新聞記事が展示されている。会議の様子を再現するろう人形も。入場無料で、私が訪れたときは観光客の若者や親子連れでにぎわっていた。新興国のリーダーを目指し、会議を開いたインドネシアの誇り高き場所である。
 インドネシアは1945年8月17日、3年半にわたる日本の支配から解放され、独立を宣言した。だが、実際に独立を果たしたのは、旧宗主国オランダとの独立戦争(45〜49年)の後だ。その戦いに1千人ともいわれる残留日本兵が加わった歴史は次第に忘れられつつある。
 南ジャカルタの「カリバタ英雄墓地」には、祖国建設に貢献したとして、日本人も埋葬されている。独立を助けたい、生き延びるために…。敗戦後も日本へ帰国せず独立戦争に参加した理由はさまざまのようだ。
 係の人の案内で向かった先には「NISHIMURA」とか「YAMANO」といった名前が入った墓碑を見つけた。イスラム教に改宗してインドネシア人の名前で眠る日本人も多い。何人の日本人が埋葬されているか正確な数字は分からないという。
 インドネシアの高校では歴史の授業で日本の占領時代について学ぶ。道路や飛行場の建設で「Romusha(労務者)」として強制的に従事させられるなど日本の圧政に苦しんだ歴史が取り上げられる。それでも親日的な雰囲気を感じることは多い。独立のために共に戦った日本人がいた事実もその一因だろうか。
 日本人が埋葬されている「英雄墓地」は、ジャワ島各地だけでなく、スマトラ島、バリ島などにも点在している。
 スラウェシ島の最北端、マナドは世界的なダイビングスポット。ここには戦前から沖縄を中心に漁業に従事する移民が多くいた。戦時中は、陸軍、海軍がそれぞれ拠点を置いていたこともあり、数多くの日本人が生活した街だ。日本人に縁を持つインドネシア人も多い。たまたま乗ったタクシーの運転手さんがそうだった。「おじいさんが日本人でオオサカに住んでいた。私は一度も日本へ行ったことがなく、いつか行ってみたいけど、お金がね…」。日本語も交えて、笑顔でそう話してくれた。(佐々川修二)

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