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アルゼンチン

【アルゼンチン】100歳表彰 日系社会で尽力

2020/12/1
賞状を実際に受け取り喜ぶ下條さん

賞状を実際に受け取り喜ぶ下條さん

 「バーチャル表彰を受けたのは初めて」。もうすぐ100歳を迎える下條善徳さんは笑顔で語った。日本政府による在アルゼンチン邦人高齢者表彰。今年は新型コロナウイルスの影響でオンライン表彰式となり、中前隆博駐アルゼンチン大使がインターネット会議システムで祝状を読み上げた。
 下條さんは1921年2月28日、沖縄県与那城村(現うるま市)で生まれた。ブエノスアイレス在住68年で、アルゼンチンでの功績は枚挙にいとまがない。「事実は小説より奇なり」を地で行く人である。1937年、真珠貝採集移民として父とオーストラリアに渡航したが、戦時下は捕虜として収容所暮らしを余儀なくされた。その間、収容所で医師の手伝いをしたという。
 1946年に帰国し、沖縄で水産業を営んだ。1952年、アルゼンチンでクリーニング店を営んでいた義兄に呼び寄せられた。アルゼンチンに渡るオランダ船で出産に立ち会った。経験の浅かった船医だったため、英語と看護もできる下條さんが頼まれ、助産師役を務めたという。この話からも分かるように、奉仕精神にあふれる下條さんはアルゼンチン日系社会では、なくてはならない人である。
 アルゼンチン在住日本人の70%以上は沖縄県出身者といわれ、県人会の発展に力を尽くした。琉球古典音楽「歌三線(さんしん)」の名人であり、後継の指導にも熱心だ。文化面だけでなく、1964年には市町村対抗体育大会を提案。その後、会場となった「うるま園」の用地取得、運営に携わった。2006年には、アルゼンチンうるま市民会を設立し、初代会長になった。
 2011年、沖縄出身者が一堂に会する「世界のウチナーンチュ大会」が沖縄で開かれ、アルゼンチン代表として招かれた。付き添った娘の利合子さんは、当時90歳だった下條さんの元気さに舌を巻いた。「2日間も国際線で移動して、さらに沖縄までの旅。私はくたくたに疲れていました。しかし父はホテルに着くなり『外に出て歩こう』と言ったんです」
 95歳まで車の運転をしていたが、少し耳が遠くなったので断念。しかし目は問題なく見えるということで、96歳からタブレット端末を使っている。友人たちにメールやビデオメッセージを送り、元気なことを発信している。
 コロナ禍でオンラインの高齢者表彰となったが「この年になっても、新しい経験ができてうれしい」と、大きな目を輝かせながら喜んでいた。アルゼンチンに降り立った若いときも、きっと同じ表情だったのだろう。アルゼンチン沖縄県人会では、その年のえと生まれの人を一緒に祝う。「生年祝い」というのだが、「青年祝い」と漢字を間違えることがよくある。しかし、下條さんを祝うときは「青年、おめでとう」でも間違いにはならないだろう。(相川知子)

リモートで中前大使から表彰を受ける下條さん

リモートで中前大使から表彰を受ける下條さん

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