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  • ドラフト会議の検索結果(7ページ目)

    245件見つかりました。

  • 274選手リストアップ 第1回スカウト会議 [ドラフト2020関連記事] (2020/1/10 19:50)

     今秋のドラフト会議に向けた広島の第1回スカウト会議が10日、広島市南区の球団事務所であった。松田元オーナーや担当スカウトらが出席し、274選手をリストアップした。  参加者は8選手のプレー映像を確かめた。今ドラフトの方針は投手と長打力がある打者の獲得。田村恵スカウトは「投手(の獲得を目指すの)はもちろん、野手は一芸に秀でた選手が欲しい。1位候補はまだ絞り込める段階ではない」と説明。飛び抜け…
  • 第4部 <10> 2004年 期待の佐藤、球威戻らず [カープドラフト史] (2020/1/8 22:55)

     高校生を除く選手2人までと自由に契約できる「自由獲得枠」を、8球団が行使した2004年。ドラフト会議で1巡目指名できるのは、2枠とも使わなかった広島など4球団だった。注目のダルビッシュ有(宮城・東北高)は日本ハム、涌井秀章(神奈川・横浜高)は西武へ。広島は秋田商高を春の甲子園8強に導いた佐藤剛士をトップに据えた。  高校1年時から調査していた本格派の右投手。甲子園では順調な成長ぶりをスカウ…
  • 第4部 <9> 2003年 白浜、35試合出場が最多 [カープドラフト史] (2020/1/7 22:56)

     お膝元に有望選手が2人いた。2003年のドラフト会議で、広島は春の甲子園を制した広陵高のバッテリー、西村健太朗と白浜裕太をそろって獲得したいと考えた。とはいえ他球団も2人を上位指名する可能性が強く、二者択一を迫られることになった。  自由枠を行使しなかった広島の指名権は、1巡目と3巡目以降になる。まず高校生ナンバーワン捕手の呼び声が高い白浜を1巡目、早めに一線に出てきそうな右投手の西村を3…
  • 第4部 <7> 2001年 1位大竹、2桁勝利4回 [カープドラフト史] (2020/1/5 22:40)

     2001年のドラフト会議は指名方法を変え、新たに「自由枠」という制度を導入した。各球団は大学・社会人の「自由獲得選手」を2人まで取れるという内容だったが、どちらにしても選手側の了解を取り付ける必要があり、実質的には前年までの逆指名となんら変わりはなかった。  1番人気は自由枠の対象ではない高校生だった。宮崎・日南学園高の右腕寺原隼人。夏の県大会で無安打無得点試合を達成し、甲子園に出場。怪物…
  • 第4部 <6> 2000年 2位の広瀬、主力で活躍 [カープドラフト史] (2020/1/4 22:40)

     九州にほれぼれする大型野手がいた。大分工高の内川聖一。2000年のドラフト会議で上位指名したいと、広島のスカウト村上(旧姓宮川)孝雄は足しげく大分に通った。  「補強ポイントは打てる野手。高校生では最高の評価をしている」と熱意を伝え、内川も広島に好感を抱いた。ただ最後は横浜(現DeNA)への入団を強く望み、広島入りはならなかった。  広島を避けた理由は、体に自信が持てなかったからとい…
  • 第4部 <5> 1999年 河内、浮き沈みの16年間 [カープドラフト史] (2020/1/3 22:49)

     投手陣が軒並み不振で2年連続5位に終わった。主砲江藤智は移籍を前提にフリーエージェント(FA)宣言した後の1999年のドラフト会議。広島は投手補強を急ぐとともに、次代を担う長距離打者を獲得する必要に迫られていた。  まず1位。大型内野手の野口祥順(茨城・藤代高、ヤクルト1位)を推す声もあったが、やはり投手の優先順位が高いということになった。前年に大野豊が引退したこともあり、できれば左投手が…
  • 第4部 <4> 1998年 6位新井、猛練習で飛躍 [カープドラフト史] (2020/1/2 22:55)

     広島は1998年のドラフト会議に向け、早々と近大の大型内野手二岡智宏の1位指名を決めた。「2位以下は空振りでもいい」というほどの熱の入れようである。だが、構想はもろくも崩れた。二岡が逆指名した球団は巨人であった。  中軸を任せる野手が必要だった。打率も長打も期待できる二岡なら、うってつけである。スカウト宮本洋二郎が徹底マークして、感触も悪くなかった。地元広陵高出身で、本人も入団に異存ないだ…
  • 【こぼれ話】<18> 「意趣返し」 惜しまれる「逃した選手」 [カープドラフト史] (2020/1/1 9:29)

     ドラフト会議でも、こうした「意趣返し」がたまにある。スカウトの間では、1981年の阪神1位がそうと言われていた。  阪神の本命は、協和発酵の快速球投手津田恒美であった。だが津田は広島と固く結ばれているようだ。割って入る余地はないかと手を尽くしてみたが、難しそうだ。最終的に方針転換して他の即戦力投手を指名することになった。  1位指名したのは右田一彦(電電九州)。津田と並ぶ逸材と評判だ…
  • 第4部 <3> 1997年 期待の遠藤 即戦力ならず [カープドラフト史] (2019/12/31 19:18)

     補強ポイントは明確だった。即戦力投手、欲を言えば2、3人欲しいところである。そろそろ打てて守れる内野手も必要になっていた。1997年ドラフト会議。「百点満点」という三村敏之監督の言葉は割り引くにしても、ポイントを押さえた指名で、結果は上出来となるはずだった。  3位になったものの、4チームに負け越して借金は3。「投壊」が最大の要因で、チーム防御率4・44は初優勝した75年以降では2番目に悪…
  • 第4部 <2> 1996年 誠意に答えた沢崎・黒田 [カープドラフト史] (2019/12/30 18:45)

     相思相愛の大学・社会人選手を2人まで獲得できる「指定枠」を導入して4年目を迎えた1996年のドラフト会議で、広島は大学生右腕2人の逆指名を取り付けた。青学大の沢崎俊和と専大の黒田博樹である。  地方球団にとっていかに不利だとしても、決まりがある以上は制度の枠内で最善を尽くさなければならない。契約金や年俸とは別の部分で勝負しようと、スカウトは誠意を尽くす。直接接触はできないから、練習や試合に…
  • 第4部 <1> 1995年 1位長谷川、輝き続かず [カープドラフト史] (2019/12/29 18:45)

     大学・社会人選手に認められた逆指名制度は、1995年のドラフト会議でも広島を苦しめた。狙っていた慶大の高木大成は西武を希望。即戦力の呼び声が高い大型捕手であった。即戦力右腕、山内泰幸を射止めた前年の勢いはなかった。  他にも欲しい選手はいたが多くは他球団を希望し、逆指名権のない高校生を上位で獲得する方針にせざるを得なかった。会議前日に千葉・市銚子高の右の本格派長谷川昌幸を1位、岡山・関西高…
  • 【こぼれ話】<16> 「社長の激怒」 事前あいさつなく1位 [カープドラフト史] (2019/12/26 9:19)

     広島が1980年ドラフト会議で1位で獲得した川口和久については、興味深いエピソードがまだある。所属していたデュプロの社長が指名に激怒したというのだ。「事前のあいさつも何もなしに、大切な社員、選手をさらっていくのか」  確かに会社へのあいさつを欠いていた。当時スカウト部長だった木庭教は「社長の怒りはもっともだが、わしらも会社に接触するわけにはいかんかったんじゃ」と言う。  見向きもされ…
  • 【こぼれ話】<13> 「左腕渇望」 未獲得は初V後12回だけ [カープドラフト史] (2019/12/15 7:54)

     初優勝した75年以降、ドラフト会議は45回を数えている。ドラフト外や育成選手を含め、広島が全く左投手を獲得しなかったのは12回だけ。また12回のうち3回は入札したが、入団拒否されたり、抽選で外れたりして獲得できなかった。精力的に左を取りにいった様子が見て取れるのである。  2019年、広島の左の日本人投手は7人いた。うち1軍で投げたのは3人で勝ち星を挙げたのは7勝の床田寛樹だけだ。左不足解…
  • 第3部 <10> 1994年 山内1位指名、春に公表 [カープドラフト史] (2019/12/14 22:49)

     1994年3月中旬、広島は思い切った策に打って出た。ドラフト会議まで8カ月あるというのに、日体大の右の本格派、山内泰幸を1位指名すると決め、公表したのだ。まだ開幕前。山内は3年生である。  1、2位で大学・社会人の逆指名が認められた前年は、これはと思う選手を他球団にさらわれた。同じようなことが続けば、チームは弱体化する一方だ。地方球団、資金力の弱さを「誠意」で克服しようというわけだった。 …
  • 第3部 <9> 1993年 「逆指名」が補強の壁に [カープドラフト史] (2019/12/13 22:56)

     1993年のドラフト会議は、大学生と社会人の逆指名が認められた。即戦力の評価を受けた選手は在京球団やダイエー(現ソフトバンク)などを希望。新たな仕組みは広島には痛手を与える、という予想は現実になった。  広島が狙うのは、東北福祉大の右の本格派、三野勝大であった。19年ぶりの最下位に沈んだ大きな要因は、投手陣の崩壊であった。投手から絶大な信頼を寄せられていた捕手、達川光男が前年引退したのも痛…
  • 第3部 <8> 1992年 伊藤外し先発補強失敗 [カープドラフト史] (2019/12/12 22:49)

    …返ったが、しぶとさに乏しい。王国を誇った投手陣も主力級はピークを過ぎ、若手の台頭もままならない。肝心なところで守り切れず、接戦を落とすケースが目立った。まず佐々岡真司に次ぐ20代の先発の補強が急務で、ドラフト会議では2桁勝利が見込める投手の獲得に懸けた。  本命は伊藤智仁(三菱自動車京都)である。同年のバルセロナ五輪日本代表で右のエース。チーフスカウト備前喜夫は「この年のドラフトで抜きんで…
  • 【こぼれ話】<12> 「幻のエース」 逃した適期、けがに泣く [カープドラフト史] (2019/12/12 9:05)

    …スカウト木庭教がほれ込んだ投手の一人に立野政治がいる。大阪・PL学園高から日本楽器に進んだ右の本格派。すらりとした体にはばねがあり、力のある球を投げ込んでいた。「必ずカープの柱になる」と、1976年のドラフト会議で4位指名した。  交渉は難航すると踏んでいた。日本楽器は前年、エース深沢恵雄が阪神入り。立野を手放す考えはなかった。他球団が手を出さなかった理由もそこにあった。木庭は「翌年のドラ…
  • 第3部 <7> 1991年 金本、予想超える大成功 [カープドラフト史] (2019/12/11 22:56)

    …は1991年、V6を達成したものの、内容は薄氷を踏む勝利であった。打線は長打力に乏しく、少ない得点を投手力で守り切る構図。その投手陣にしても主力に陰りが見え始めており、次のシーズンも安泰とはいえない。ドラフト会議の重要ポイントはやはり即戦力投手になった。  大学屈指の投手と評価される若田部健一(駒大)の1位指名を早々と決めて臨んだ。同年は津田恒美が病気で早々に戦列を離脱。来季復帰できる見通…
  • 第3部 <6> 1990年 見込み違い、好投手逃す [カープドラフト史] (2019/12/10 22:45)

     「在京セ」「在阪」などと、球団を逆指名する選手が再び目立つようになっていた。1990年のドラフト会議は「不作」だったこともあり、広島にとって厳しい展開になった。  同年のセ・リーグは「1強多弱」であった。広島は2位につけたとはいえ、貯金はわずか2。首位巨人には22ゲームも引き離され、シーズンを終えた。北別府は2年連続で2桁勝てず、川口和久は11勝13敗、長冨浩志は11勝11敗。津田恒美は故…
  • 【こぼれ話】<11> 「2人のコージ」 コイでは幻、巨人で実現 [カープドラフト史] (2019/12/8 8:25)

    …が、広島に2人目の「山本コージ」が誕生する可能性があった。本田技研鈴鹿の山本功児。左打ちの好打者だった。兵庫・三田学園高時代に南海(現ソフトバンク)の指名を蹴り法大に進学、そして社会人へ。1975年のドラフト会議で指名されればプロ入りする気持ちを固めていた。  広島のスカウト木庭教が頻繁に見に来ていると聞いていたから、本人も「カープに入ることになる」と思っていた。ところがふたを開けてみると…