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  • ドラフト会議の検索結果(8ページ目)

    241件見つかりました。

  • 第3部 <2> 1986年 逸材と確信、3位で緒方 [カープドラフト史] (2019/12/3 22:52)

     「この子に懸けてみたいと思ったんだが…」。1986年のドラフト会議を振り返り、広島のスカウト部長だった木庭教は苦い表情を浮かべた。翌年退団、大洋(現DeNA)に移ることになる木庭にとって広島での最後のドラフト。無名の好素材発掘に手腕を発揮してきた「名スカウト」の面目躍如となるはずが、空振りに終わった。  不作どころか凶作といわれたドラフトだった。広島は甲子園で活躍して「怪物」といわれた左腕…
  • 第3部 <1> 1985年 清原避け長冨一本釣り [カープドラフト史] (2019/12/2 22:57)

     1980年代後半、広島は野村謙二郎や緒方孝市、佐々岡真司といった後に主力、そして指導者となる選手をドラフト会議で指名している。江藤智や前田智徳らもこの時期の入団だ。91年のV6では彼らが大きな力になった。だが93年に導入された逆指名制度は、広島の新人補強に大きな打撃を与えた。長い低迷期の始まりでもあった。  大阪・PL学園高のエース桑田真澄と4番清原和博が投打の目玉だった1985年の「KK…
  • 【こぼれ話】<9> 「地元選手の入団拒否」 大学や社会人にも魅力 [カープドラフト史] (2019/12/1 9:01)

     三村敏之、山本浩二、佐伯和司ら、広島はドラフト会議で、地元の有望選手を指名、獲得し、強い時代を築いてきた。ただ指名を受ける側はどうか。地元球団だからといって手放しで喜ぶとは限らない。  1971年は2人、72年1人、73年2人が広島入りを拒んでいる。指名全選手が入団している79年より前のドラフトをみると、広島の高校や大学、社会人、あるいは広島の高校から大学、社会人に進んだ計28人を指名し、…
  • 【こぼれ話】<8> 「ミスター社会人」 プロ入り断り、実績積む [カープドラフト史] (2019/11/28 8:39)

     1972年ドラフト会議で広島が3位指名した萩野友康もその一人である。  慶大の主戦。東京六大学の71年秋季リーグから3季連続優勝の原動力となり、72年の全日本大学野球選手権の準優勝にも貢献した。六大学のベストナインは2回。1、2位で消える素材だったが、早々と「プロに行かない」と宣言していた。  拒否は本物と各球団は見送ったが、カープは敢然と指名に踏み切る。松田耕平オーナー、別当薫監督…
  • 第2部 <10> 1984年 2位正田「強奪」実る [カープドラフト史] (2019/11/21 22:57)

     プロ入りするには適切な時期がある。タイミングを誤らないようアマチュア指導者や学校、企業も考えるべきだ―。広島のスカウト部長木庭教の持論である。1984年ドラフト会議。木庭のプッシュもあって、広島は新日鉄広畑の正田耕三を2位で強行指名した。  同年のロサンゼルス五輪に日本代表の「1番・二塁」で出場。金メダル獲得に貢献した。170センチながら体に力がある。加えて強い向上心が木庭を引き付けた。こ…
  • ドラ1森下、背番号は「18」 [ドラフト2019関連記事] (2019/11/21 18:52)

     広島の「18」は、球団草創期に活躍した長谷川良平や佐々岡監督が背負った番号。ドラフト会議で森下の単独指名に成功した直後に、佐々岡監督が松田元オーナーに提案し、了承された。鈴木清明球団本部長は「先発ローテーションに入って新人王を獲得するぐらいの成績を期待したい。佐々岡監督と同じような働きを期待しているという思いの表れ」と説明した。  佐々岡監督は「僕らの時代はエースナンバーと言われていた。『…
  • 第2部 <9> 1983年 1位川端、2年目に飛躍 [カープドラフト史] (2019/11/21 1:13)

     1位指名は即戦力投手という大方針は揺るがなかったが、広島は誰を指名するか迷いに迷った。1983年のドラフト会議。前日のスカウト会議は、東海大の高野光か東芝の川端順かを巡り、3時間に及ぶ激論となった。  スカウト会議の争点の一つは「どちらが早く(1軍に)出てくるか」であった。2、4、2位と3年連続で優勝から遠ざかっていた。Vライン到達には10勝前後の上積みが欲しかったのだ。  スカウト…
  • 第2部 <8> 1982年 外れ1位、強打の西田 [カープドラフト史] (2019/11/19 22:45)

     5年ぶりのBクラスに終わった1982年、広島は即戦力に狙いを定めてドラフト会議に臨んだ。  好素材がそろい、各ポジションに実力派がいた。高校生では、アイドル並みの人気を誇る東京・早実高の荒木大輔、夏の甲子園で優勝した徳島・池田高のエース兼4番畠山準が双璧。広島は大学生に的を絞った。  1位は法大の右のエース田中富生を指名し、3球団の競合となった。くじで逃すと、「外れ1位」に法大の外野…
  • 第2部 <7> 1981年 「まさか」津田単独指名 [カープドラフト史] (2019/11/18 23:06)

     「ツネゴン」と呼ばれた高校生は3年を経て、ドラフト会議の目玉投手に成長していた。山口・南陽工高から協和発酵に進んだ右の速球派、津田恒美。1981年、広島の1位指名は津田をおいて他にいなかった。  同年は夏の甲子園を制した兵庫・報徳学園高の金村義明らも注目を集めていたが、広島のスカウト部長木庭教にすれば「全般的にみて不作」だった。広島はその分、津田に対する他球団の攻勢は激しくなると不安を募ら…
  • 第2部 <6> 1980年 「隠し1位」で左腕川口 [カープドラフト史] (2019/11/17 22:44)

     東海大の原辰徳をどの球団が指名、獲得するか。1980年ドラフト会議の最大の関心事だった。神奈川・東海大相模高で甲子園を沸かせたヒーローは4年間で一段と成長。スター性も抜きんでていた。  広島は山本浩二、衣笠祥雄の後継者となる野手に照準を定めて会議に臨んだ。同年は原のほか、プリンスホテルの遊撃手石毛宏典や捕手中尾孝義ら期待の即戦力野手がいたが、いずれも希望球団があった。原は巨人か大洋(現De…
  • 【こぼれ話】<6> 「幻の大リーグ入り」 超高校級右腕、揺れた心 [カープドラフト史] (2019/11/17 8:13)

     菊池や大谷に先立つこと約40年。1970年のドラフト会議で広島が1位指名した佐伯和司(広島・広陵高)にも大リーグ入りの話があった。春の甲子園で4強入り、超高校級と言われた右投手に注目したのはジャイアンツであった。  ジャイアンツにはかつて日本人投手がいた。64年、傘下の1Aチームに南海(現ソフトバンク)から野球留学してきた左腕村上雅則である。メジャーに昇格して2年で5勝。その後南海に戻った…
  • 第2部 <5> 1979年 素材重視、全員が高校生 [カープドラフト史] (2019/11/16 22:46)

     V2、初の日本一を果たした広島は、戦力的には充実していた。前年1位の木田勇(日本鋼管)の拒否に遭ったものの投手陣が手薄なわけではなく、1979年のドラフト会議で「完成品」を獲得する必要性は乏しかった。木田については交渉期限となる同年ドラフトの前々日までアタックを続けたが、色よい返事は得られなかった。  注目選手は早大のスラッガー岡田彰布、投手では木田のほか、新日鉄室蘭の竹本由紀夫、大阪・浪…
  • 第2部 <4> 1978年 即戦力左腕、入団を拒否 [カープドラフト史] (2019/11/15 18:55)

     「江川事件」で巨人がボイコットし、1978年のドラフト会議は11球団による異例の展開となった。  広島は2年続きで、左投手を1位指名する方針で臨んだ。前年は素材型を獲得し、この年は間違いなく即戦力になる左腕に狙いを定めた。木田勇(日本鋼管)。開幕1軍はもちろん、すぐに先発ローテーションに入れるという評価であった。  運にも恵まれ、阪急(現オリックス)、大洋(現DeNA)との抽選を制し…
  • 第2部 <3> 1977年 左腕・田辺、驚きの1位 [カープドラフト史] (2019/11/14 20:02)

     1977年のドラフト会議。広島は、広島商高出身で法大の内野手金光興二を1位指名するとみられていた。しかし、トップに据えたのは広島・盈進高の大型左腕、田辺繁文。多くのファンが驚く結果になった。  指名順7番目まで金光の名は上がらなかった。そして広島の番である。広島商高の主将で、73年春の甲子園は準優勝、夏は全国制覇を果たした。法大でも東京六大学の花形として鳴らし、本人もカープ入りを希望してい…
  • 【こぼれ話】<5> 「複数回指名」 最多5度でも輝き一瞬 [カープドラフト史] (2019/11/14 10:10)

     ドラフト会議で指名を受け、1度目は入団拒否、2度目でプロ入りした選手は相当数いる。広島では井上弘昭や池谷公二郎、川口和久、長冨浩志らが2度の指名を受けている。  では史上最も指名回数の多い選手は誰か。  中日に藤沢公也という右投手がいた。1969年、愛媛・八幡浜高時代にロッテの3位指名を拒否し、社会人の日鉱佐賀関に入った。そこから71年ヤクルト11位、73年近鉄4位、76年日本ハム2…
  • 第2部 <2> 1976年 「地味で結構」山崎1位 [カープドラフト史] (2019/11/13 23:43)

     1976年、広島は投手狙いでドラフト会議に臨んだ。甲子園を沸かせた1番人気の酒井圭一(長崎・海星高)をはじめ、春の甲子園の優勝投手で、山崎のチームメート黒田真二、久保康生(福岡・柳川商高)をリストアップ。欲しい投手が残ってなければ左の好打者立花義家(福岡・柳川商高)に照準を定めていた。  だが指名順は11番。酒井はヤクルト、黒田は日本ハム、久保は近鉄、立花はクラウン(現西武)が先に指名し、…
  • 第2部 <1> 1975年 「不況」の年、北別府発掘 [カープドラフト史] (2019/11/12 23:10)

     初優勝して迎えた75年のドラフト会議。広島に対するアマチュア球界の評価も高まり、スカウトの活動もやりやすくなったという。ただ同年は有望素材は乏しいとの見方がもっぱらで、石油ショック後の日本経済をもじり「不況ドラフト」と言われた。  投手なら、いずれも右下手投げの田中由郎(三菱三原)と田村政雄(中大)、打者なら左の田尾安志(同大)が1位候補だった。ただ指名順10番の広島が獲得できるはずもなか…
  • 広島市安佐北区亀山エリア<中> [ぐるっとわがまち] (2019/11/9 9:49)

     亀山の家電量販店前の鮮やかな横断幕が目を引く。「祝 北海道日本ハムファイターズ ドラフト6位指名」。10月17日のプロ野球ドラフト会議での梅林優貴捕手(21)=広島文化学園大=の指名を祝い、かつて所属した亀山中(亀山南)野球部の有志が掲げた。  亀山中を訪ねると、生徒が目を輝かせていた。同月21日に梅林選手が訪れ、野球部員を激励したからだ。梅林選手は「入学した時は体が小さく、プロ野球なんて…
  • 第1部 <10> 1974年 走・守に衝撃、高橋3位 [カープドラフト史] (2019/10/31 22:45)

     長くスカウトをしていると、体の底から震えがくることがあるという。1974年のドラフト会議。広島のスカウト木庭教は「その年の夏の甲子園で高橋慶彦を見たときがそうだった」と振り返った。  あらゆる動作がゴムまりのように弾んでいた。走りも守りもだった。「ミスをしても絵になった。プロのグラウンドに立たせてプレーさせてみたい。観客がどう反応するかを見てみたい。最初に見た瞬間は、プロで使いものになるか…
  • ドラ4韮沢にあいさつ [ドラフト2019関連記事] (2019/10/31 21:17)

     広島は31日、ドラフト4位で交渉権を獲得した韮沢雄也内野手(埼玉・花咲徳栄高)に指名あいさつした。高山、尾形両スカウトが埼玉県加須市の同校を訪れ、指名理由や練習環境を説明した。広島はドラフト会議で交渉権を獲得した全9選手(育成含む)の指名あいさつを終えた。