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  • ドラフト会議の検索結果(6ページ目)

    247件見つかりました。

  • 第3部 <2> 1986年 逸材と確信、3位で緒方 [カープドラフト史] (2019/12/3 22:52)

     「この子に懸けてみたいと思ったんだが…」。1986年のドラフト会議を振り返り、広島のスカウト部長だった木庭教は苦い表情を浮かべた。翌年退団、大洋(現DeNA)に移ることになる木庭にとって広島での最後のドラフト。無名の好素材発掘に手腕を発揮してきた「名スカウト」の面目躍如となるはずが、空振りに終わった。  不作どころか凶作といわれたドラフトだった。広島は甲子園で活躍して「怪物」といわれた左腕…
  • 第3部 <3> 1987年 故障に泣いた1位川島 [カープドラフト史] (2019/12/4 23:18)

     ソウル五輪を控え、代表入りが有力な社会人選手が指名凍結となった。ただ高校生に好素材が目立ち、1987年のドラフト会議には、前年ほどの「不作感」はなかった。  話題性では立大の三塁手、長嶋一茂が群を抜いていた。ミスタープロ野球、長嶋茂雄の長男。巨人は指名せず、ヤクルトと大洋(現DeNA)が1位入札し、ヤクルトが交渉権を得る。広島も一時獲得を検討したが見送った。  広島が1位で狙っていた…
  • 【こぼれ話】<10> 「投手重視」 先発フル回転、難しく [カープドラフト史] (2019/12/5 7:50)

     55回を数えるドラフト会議で、広島は投手を重点的に指名してきた。  第1次、2次と分かれたり、高校生と大学・社会人を別々に指名したり、ドラフトの仕組みは何度か変わった。トップ指名を1位と呼ばない年もあった。希望枠や自由枠、1巡目指名といった「実質1位」をドラ1に位置づけると、広島の1位選手は計58人。そのうち投手は38人で6割5分を占めている。1992〜97年は6年連続で投手が1位。5年連…
  • 第3部 <4> 1988年 1位野村、走攻守で卓越 [カープドラフト史] (2019/12/5 23:06)

     ソウル五輪が終了。プロ入り凍結になっていたアマチュア選手の指名が解禁になった1988年ドラフト会議は、一転「豊作」となった。ソウルのエース石井丈裕(プリンスホテル)ら好投手が目に付いたが、広島は野手を1位指名する方針だった。  広島は駒大の遊撃手、野村謙二郎に的を絞った。庄原市出身で、超高校級捕手と言われた谷繁元信(島根・江の川高)を望む声もあったが、内野手の優先度が高いと判断した。谷繁は…
  • 第3部 <5> 1989年 佐々岡1位、最善の策 [カープドラフト史] (2019/12/6 23:04)

     「10年に一人」と言われた右の豪腕に多くの球団が殺到した。1989年のドラフト会議の主役は、新日鉄堺の野茂英雄。史上最多の8球団が1位入札し、近鉄が当たりくじを引き当てた。広島は野茂フィーバーとは距離を置き、地元NTT中国の右腕佐々岡真司を単独指名した。  広島も野茂獲得を考えなかったわけではない。同年は11年連続で2桁勝っていた北別府学が9勝にとどまり、白武佳久のロッテ移籍も決まっていた…
  • 【こぼれ話】<11> 「2人のコージ」 コイでは幻、巨人で実現 [カープドラフト史] (2019/12/8 8:25)

    …が、広島に2人目の「山本コージ」が誕生する可能性があった。本田技研鈴鹿の山本功児。左打ちの好打者だった。兵庫・三田学園高時代に南海(現ソフトバンク)の指名を蹴り法大に進学、そして社会人へ。1975年のドラフト会議で指名されればプロ入りする気持ちを固めていた。  広島のスカウト木庭教が頻繁に見に来ていると聞いていたから、本人も「カープに入ることになる」と思っていた。ところがふたを開けてみると…
  • 第3部 <6> 1990年 見込み違い、好投手逃す [カープドラフト史] (2019/12/10 22:45)

     「在京セ」「在阪」などと、球団を逆指名する選手が再び目立つようになっていた。1990年のドラフト会議は「不作」だったこともあり、広島にとって厳しい展開になった。  同年のセ・リーグは「1強多弱」であった。広島は2位につけたとはいえ、貯金はわずか2。首位巨人には22ゲームも引き離され、シーズンを終えた。北別府は2年連続で2桁勝てず、川口和久は11勝13敗、長冨浩志は11勝11敗。津田恒美は故…
  • 第3部 <7> 1991年 金本、予想超える大成功 [カープドラフト史] (2019/12/11 22:56)

    …は1991年、V6を達成したものの、内容は薄氷を踏む勝利であった。打線は長打力に乏しく、少ない得点を投手力で守り切る構図。その投手陣にしても主力に陰りが見え始めており、次のシーズンも安泰とはいえない。ドラフト会議の重要ポイントはやはり即戦力投手になった。  大学屈指の投手と評価される若田部健一(駒大)の1位指名を早々と決めて臨んだ。同年は津田恒美が病気で早々に戦列を離脱。来季復帰できる見通…
  • 【こぼれ話】<12> 「幻のエース」 逃した適期、けがに泣く [カープドラフト史] (2019/12/12 9:05)

    …スカウト木庭教がほれ込んだ投手の一人に立野政治がいる。大阪・PL学園高から日本楽器に進んだ右の本格派。すらりとした体にはばねがあり、力のある球を投げ込んでいた。「必ずカープの柱になる」と、1976年のドラフト会議で4位指名した。  交渉は難航すると踏んでいた。日本楽器は前年、エース深沢恵雄が阪神入り。立野を手放す考えはなかった。他球団が手を出さなかった理由もそこにあった。木庭は「翌年のドラ…
  • 第3部 <8> 1992年 伊藤外し先発補強失敗 [カープドラフト史] (2019/12/12 22:49)

    …返ったが、しぶとさに乏しい。王国を誇った投手陣も主力級はピークを過ぎ、若手の台頭もままならない。肝心なところで守り切れず、接戦を落とすケースが目立った。まず佐々岡真司に次ぐ20代の先発の補強が急務で、ドラフト会議では2桁勝利が見込める投手の獲得に懸けた。  本命は伊藤智仁(三菱自動車京都)である。同年のバルセロナ五輪日本代表で右のエース。チーフスカウト備前喜夫は「この年のドラフトで抜きんで…
  • 第3部 <9> 1993年 「逆指名」が補強の壁に [カープドラフト史] (2019/12/13 22:56)

     1993年のドラフト会議は、大学生と社会人の逆指名が認められた。即戦力の評価を受けた選手は在京球団やダイエー(現ソフトバンク)などを希望。新たな仕組みは広島には痛手を与える、という予想は現実になった。  広島が狙うのは、東北福祉大の右の本格派、三野勝大であった。19年ぶりの最下位に沈んだ大きな要因は、投手陣の崩壊であった。投手から絶大な信頼を寄せられていた捕手、達川光男が前年引退したのも痛…
  • 第3部 <10> 1994年 山内1位指名、春に公表 [カープドラフト史] (2019/12/14 22:49)

     1994年3月中旬、広島は思い切った策に打って出た。ドラフト会議まで8カ月あるというのに、日体大の右の本格派、山内泰幸を1位指名すると決め、公表したのだ。まだ開幕前。山内は3年生である。  1、2位で大学・社会人の逆指名が認められた前年は、これはと思う選手を他球団にさらわれた。同じようなことが続けば、チームは弱体化する一方だ。地方球団、資金力の弱さを「誠意」で克服しようというわけだった。 …
  • 【こぼれ話】<13> 「左腕渇望」 未獲得は初V後12回だけ [カープドラフト史] (2019/12/15 7:54)

     初優勝した75年以降、ドラフト会議は45回を数えている。ドラフト外や育成選手を含め、広島が全く左投手を獲得しなかったのは12回だけ。また12回のうち3回は入札したが、入団拒否されたり、抽選で外れたりして獲得できなかった。精力的に左を取りにいった様子が見て取れるのである。  2019年、広島の左の日本人投手は7人いた。うち1軍で投げたのは3人で勝ち星を挙げたのは7勝の床田寛樹だけだ。左不足解…
  • 【こぼれ話】<16> 「社長の激怒」 事前あいさつなく1位 [カープドラフト史] (2019/12/26 9:19)

     広島が1980年ドラフト会議で1位で獲得した川口和久については、興味深いエピソードがまだある。所属していたデュプロの社長が指名に激怒したというのだ。「事前のあいさつも何もなしに、大切な社員、選手をさらっていくのか」  確かに会社へのあいさつを欠いていた。当時スカウト部長だった木庭教は「社長の怒りはもっともだが、わしらも会社に接触するわけにはいかんかったんじゃ」と言う。  見向きもされ…
  • 第4部 <1> 1995年 1位長谷川、輝き続かず [カープドラフト史] (2019/12/29 18:45)

     大学・社会人選手に認められた逆指名制度は、1995年のドラフト会議でも広島を苦しめた。狙っていた慶大の高木大成は西武を希望。即戦力の呼び声が高い大型捕手であった。即戦力右腕、山内泰幸を射止めた前年の勢いはなかった。  他にも欲しい選手はいたが多くは他球団を希望し、逆指名権のない高校生を上位で獲得する方針にせざるを得なかった。会議前日に千葉・市銚子高の右の本格派長谷川昌幸を1位、岡山・関西高…
  • 第4部 <2> 1996年 誠意に答えた沢崎・黒田 [カープドラフト史] (2019/12/30 18:45)

     相思相愛の大学・社会人選手を2人まで獲得できる「指定枠」を導入して4年目を迎えた1996年のドラフト会議で、広島は大学生右腕2人の逆指名を取り付けた。青学大の沢崎俊和と専大の黒田博樹である。  地方球団にとっていかに不利だとしても、決まりがある以上は制度の枠内で最善を尽くさなければならない。契約金や年俸とは別の部分で勝負しようと、スカウトは誠意を尽くす。直接接触はできないから、練習や試合に…
  • 第4部 <3> 1997年 期待の遠藤 即戦力ならず [カープドラフト史] (2019/12/31 19:18)

     補強ポイントは明確だった。即戦力投手、欲を言えば2、3人欲しいところである。そろそろ打てて守れる内野手も必要になっていた。1997年ドラフト会議。「百点満点」という三村敏之監督の言葉は割り引くにしても、ポイントを押さえた指名で、結果は上出来となるはずだった。  3位になったものの、4チームに負け越して借金は3。「投壊」が最大の要因で、チーム防御率4・44は初優勝した75年以降では2番目に悪…
  • 【こぼれ話】<18> 「意趣返し」 惜しまれる「逃した選手」 [カープドラフト史] (2020/1/1 9:29)

     ドラフト会議でも、こうした「意趣返し」がたまにある。スカウトの間では、1981年の阪神1位がそうと言われていた。  阪神の本命は、協和発酵の快速球投手津田恒美であった。だが津田は広島と固く結ばれているようだ。割って入る余地はないかと手を尽くしてみたが、難しそうだ。最終的に方針転換して他の即戦力投手を指名することになった。  1位指名したのは右田一彦(電電九州)。津田と並ぶ逸材と評判だ…
  • 第4部 <4> 1998年 6位新井、猛練習で飛躍 [カープドラフト史] (2020/1/2 22:55)

     広島は1998年のドラフト会議に向け、早々と近大の大型内野手二岡智宏の1位指名を決めた。「2位以下は空振りでもいい」というほどの熱の入れようである。だが、構想はもろくも崩れた。二岡が逆指名した球団は巨人であった。  中軸を任せる野手が必要だった。打率も長打も期待できる二岡なら、うってつけである。スカウト宮本洋二郎が徹底マークして、感触も悪くなかった。地元広陵高出身で、本人も入団に異存ないだ…
  • 第4部 <5> 1999年 河内、浮き沈みの16年間 [カープドラフト史] (2020/1/3 22:49)

     投手陣が軒並み不振で2年連続5位に終わった。主砲江藤智は移籍を前提にフリーエージェント(FA)宣言した後の1999年のドラフト会議。広島は投手補強を急ぐとともに、次代を担う長距離打者を獲得する必要に迫られていた。  まず1位。大型内野手の野口祥順(茨城・藤代高、ヤクルト1位)を推す声もあったが、やはり投手の優先順位が高いということになった。前年に大野豊が引退したこともあり、できれば左投手が…